PiPi's World 投稿小説

太平洋の荒波
その他リレー小説 - 戦争

の最初へ
 142
 144
の最後へ

太平洋の荒波 144

「三菱の一式陸攻の生産ラインの大半を転換し、また工場拡張の上で集中生産を図る予定です。」
「これほどの巨人機だからなあ……
本当は他の会社にも生産させたいが…」
DB601エンジンを国産化するために、海軍は愛知に、陸軍は川崎に生産させたが、複数の企業に生産させた都合上、両社が個別にライセンスを取得する必要があった上に陸海軍ばらばらに計画した上に製造上の理由などでそれぞれにオリジナルのDB601と機構等の異なる箇所があったものだからアツタとハ40系には互換性が無かったのである。
そのため今回は政府がライセンスを取得したのだが、他社には生産余力がなかった。
そういうわけで、「雄山」は日本政府がライセンス取得して生産に当たることになったものの、他社の工場では現状では生産できないのである。
なぜなら、、川崎は飛燕改(キ100)や四式襲撃機(キ102)などの生産、キ91開発などで忙しく、また中島では、大阪航空工業だけではいかに工場を拡張したとはいえその汎用性故に所要機数が多く供給し切れない暴風(A7O、キ64)の転換生産を工場を拡張までして大量に行っている有様で、大型機を扱えて量産能力の高い企業は三菱しかなかったのでこれは仕方ないだろう。
「雄山」の増加試作機と先行量産機、合わせてこの時点ではまだ33機しかなく、終戦の切り札として、装備した部隊は軍令部直轄として本土で訓練を続けていた。
今も、和田航空本部長達の見ている前で「雄山」は1機、また1機と爆撃訓練の為に離陸していくところだった。
配属された将兵達も、「これならアメ公を焼き払ってやれる。勝てる。」と意を強くしていた。



同時期。米軍の大陸反攻を阻止殲滅すべくドイツ軍は様々な準備を進めていた。
デーニッツとゲーリングが喧嘩同然の激論をした挙句、ヒトラーの裁定により編成された海軍航空隊。
ゲーリングの有形無形の妨害が海軍航空隊に対して行われるのではと海軍高官たちは身構えていたが、それは海軍航空隊結成直後にゲーリングが薬物の過剰摂取により自宅で急死したことにより、ほぼ杞憂に終わっていた。

海軍航空隊の母艦となる航空母艦群が完成し、ダンツィヒを拠点に訓練を行っていた。
その陣容は「グラーフ・ツェッペリン」級航空母艦「グラーフ・ツェッペリン」と「ペーター・シュトラッサー」、「アドミラル・ヒッパー」級重巡洋艦を建造中に改装した「ヴェーザー」、戦時急造航空母艦として日本海軍に設計を依頼してドイツが建造した、改「翔鶴」級空母「マンフレート・フォン・リヒトホーフェン」級2隻「マンフレート・フォン・リヒトホーフェン」と「マックス・インメルマン」であった。
「グラーフ・ツェッペリン」級より大きな空母に第一次大戦の空の英雄の名を冠したのは、計画時点では存命だったゲーリングをはじめ、空軍への政治的配慮であった。

「グラーフ・ツェッペリン」級2隻が搭載していたのは全機が戦闘機で、Me262の艦上戦闘機型であるF−1a型であった。

SNSでこの小説を紹介

戦争の他のリレー小説

こちらから小説を探す