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戦艦空母艦隊
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戦艦空母艦隊 116





数時間後、横須賀にある海軍御用達ホテルのホールにて日米軍事同盟(仮称)の説明がなされた。大体はJrが言った通りの内容であるがこれが海軍のみならず陸軍や空軍にも及ぶ。陸軍は早急にドイツとアメリカ両陣営の戦車を参考にした正規戦車(大型戦車の事)の実用化と共にアジア各国の陸軍にも供給すると明かした。これにはナチスドイツの機械化装甲師団対策にはテケ戦(TK戦車)では不十分である事は明白である。しかし地形次第ではこの戦車も使えるのでフラーを初めとしてロンメルの部下達が分担して日本各地の山岳地帯にて実証実験をしていると言う。そして対戦車兵器として注目しているのがヘリコプターだ。
こちらは米国陸軍がパットン戦車では数で圧さないと圧倒できない、そこで空からの攻撃も考えられたが固定翼機では方法が限られていた。そんな時にヘリコプターと呼ばれる新機軸航空機の飛行システムが実用化されパットンは直ぐに飛び付いた。嫌がる海軍航空機研究機関に所属する最高責任者に胸倉を掴んでまでも説得したのは有名な話である……何せ一度火がついたらハワイの火山の如く収まらないのだ。逆にこれは如何にパットン戦車がドイツの戦車に弱い事を知っている彼だからこそ縄張り意識が強い海軍に怒りをぶちまけたと言う事だ。これは日本にとっても他人事ではない……日本は戦車運用するのは不利と有利が混在する特殊な地形だ。北海道の様に広大な平地を持つ所はドイツの戦車が十分に生かしきれるが逆に本州や四国、九州はそのような所が限られる。
つまり攻めるナチスドイツも守る日本もこの列島で戦車を運用するのは未知の領域……とは言え地の利は日本にある事は間違いない。既に日本陸軍はナチスドイツと袂を分ける前から対戦車兵器の開発を進めており、極東エレサイム共和国も建国当時から対ナチスドイツ戦を想定、結果生まれたのが対戦車ライフルやSMG、そして歩兵小銃と呼ばれるアサルトライフルが実用化に向けて試験運用している。そして歩兵用対戦車墳進弾、即ちバズーカ胞は既に米国陸軍はアフリカ戦線に投入した。フラーはこの様な兵器の登場を予見し如何に彼の先見性が凄いのか窺い知る事が出来る一例とも言える。
海軍将校にも情報提供されたのは補給の問題もあるからだ……状況次第では戦艦並の船体を持つ貨物船の建造や導入も考えられる。馬司令官はどちらにせよ海軍力の強化にはむやみに戦果をあげる事は避けたい所だ……何よりも米国が本格的に日本と同盟を結んだ事は各アジア新興国にとっては良いニュースになる。


一隻の船がオホーツクの海を北上する……宗谷型雑用運送艦一番艦宗谷、後世でもソ連が沿岸航路貨物船として注文するもキャンセルされたが橘次官らが砕氷戦艦の参考にと建造途中の宗谷を買い取り雑用運送艦謙測量船に。そして亡命ユダヤ人やドイツ人の技師らの協力により砕氷船として改装された。現在は測量から灯台守支援までこなす船でもある。日本海軍にとって砕氷船は大泊だけなので流氷が漂着する海域を一隻で賄うのは限度に近く老朽化も見られた。しかも当時の海軍主流派は戦艦に予算をつぎ込んでいた。

これは欧米に追い付け追い越せという風潮が当たり前であり砕氷船なんて冬季北海道沖の一部海域しか使い道が無いと言う理由と言うよりも新造艦予算を使われたくないのが本音だ。そこで橘らは当時施行された“優秀船舶建造助成施設”を使って民間海運会社に大型砕氷船を建造をさせたのである。無論これには反発もあったのだが当時次官であった橘は“ソ連海軍は砕氷軍艦若しくは潜水艦で北海道を侵略された時貴方達が建造したの戦艦で何処まで食い止められるか?北海道は明治時代に幾多の名の無き国民が血と汗で切り開いた国土を流氷で失えば末代までの恥だ!”と叱責したのである。更にその場に居合わせた別口の砕氷船計画担当の黒田官二郎補佐官からトドメの一発が出た。

  津軽海峡まで取られたらあっとう間に我々は共産主義の奴隷ですな。その時には貴方達は爆薬でも身をまいて紅の広場(モスクワにある広場の事)で自爆しても無駄でしょう。皇室一族は処刑されてね。

あわや主流派が装備していた軍刀が抜く寸前になるも周囲の仲裁で事なきを得た。

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