飛剣跳刀 77
だが、待てどくらせど、丁霊龍は彼のいるところまでは来なかった。
もちろん、あのたくさんあったほかの枝道に入った可能性も、大いにあるし、
(あいつなら、落っこちたとこからまたはい上がるかもしれねえな。だって、あの手――)
一撃のもと、指先だけで――そう、あれは拳で殴ったのではない――木をへし折ったあの手ならば、穴の岩壁か土壁かにも、たやすく穴をあけるだろう。何の手掛かり足掛かりもない、逆じょうご型の穴だって、脱出するのに苦労はあるまい。
(ただ、けっこうズタボロだったからな……)
そこまで考えて、彼は首を傾げた。
(……待てよ。怪我して弱っててもあんだけ凶暴でおっかねえやつだぞ。そんなやつを、いったい誰がああしたんだ)
彼の脳裏にまず浮かんだのは飛衛だった――が、どうもしっくりこない。
(あの旦那なら、なんてっかな……そう、もうちっと、命のやりとりっぽい「あと」が残ってそうなんだよな)
丁霊龍の片腕は最近なくしたようだったし、片腕斬られるというのも場合によっては致命の傷となりうるだろうが――
(第一、そういう、斬りあいでやられた様子にゃ見えなかったぞ)
つきるところ、そうなのだ。もちろん、直に傷を見たわけはないのだが。
(……そうだ、あいつは、何かにキレてた。俺に飛び掛かってきたとき……)
思いだして、ちょっと身を震わせ、
(あいつは、俺を殺ろうって腹だった、それはそうだが、純粋に命を狙ってきてたんじゃねえ、ありゃ……腹いせ、だった)
彼がさほど要領のよくなかった幼少時代、そんな類の暴行にさらされたことがある。
(あいつの目、昔俺を腹いせに殴った連中と同じだった――)
もし、正面からの勝負で敗れたものなら……というのはつまり、正面からの勝負がありうる飛衛、もしくは万一にも城太郎が相手だった場合であれば、ということだが……勝敗はどうあれ、それは精神的な結果ともなるはずだ。
(まあ、まともじゃないやつなら、逆恨み、ってのも、もちろん腹いせってのも……するんだろうけどな)
ただ、それも、ティンバロには正解とは思えなかった。
(だって……そうなら、あんなプライドも何もかなぐり捨ててくるかよ。あいつは、たしかにキレてたんだ。真っ向勝負で負けたんじゃねえ)
相手は、納得ゆきかねる方法で、あの男を嘲弄し、負傷させたのだ。
(ま、一人しかありえねえけどな、そんなやつ)
実際のところ、飛衛である可能性を直感的に否定したあと、ほとんど一瞬で、「彼女」はティンバロの脳裏に浮かんでいた。
(あのアマ、てめえのやったことの報いをヒトサマに押し付けやがって)
もちろん、たとえここに本人がいたにしろ、文句などいえたものではない。丁霊龍のざまを見たあとではなおさら気がひける。
(俺、よく平気でからかったりしてたよな)
つい半日前のことを思い返した。