飛剣跳刀 81
「きっと、怖がらないでといっても無駄でしょう」
また、いつもの淋しげな表情になって、ティンバロを見つめた。
「知ってしまったからには、すぐにも帰りたいでしょうね」
「………」
ティンバロは、答えない。というより、答えられないのだ。この少女が五毒教なら、意にそわぬ返答をした場合、どんな恐ろしい目にあうか知れたものではない……
ところが、少女はいった。
「帰りたいのなら、帰ってもいいわ――引き留めないから」
もっとも、今にも泣きだしそうに目のふちを紅く染めている。
「ただ――それなら、ひとつだけ、聞いてもらいたいの。どうか、わたしのことは……フィリアカムルイがここにいることは、もし教徒に出会っても言わないで!」
「も、もちろん」
ティンバロとしては、そう答えるよりほかない。
「そう……じゃあ、行っていいわ」
少女は頷いた。その、うちひしがれた様子に、ティンバロは無性に胸のうちが熱くなるのを感じ、あろうことか彼女を抱きしめてやりたい衝動にかられたが――もちろん、実行するまえに思い止まった。こんな危険な場所からは、能うかぎりはやく、逃げ出すことだ。
「……じゃ、俺、行くから」
何かいわないといけない気がしたから、とりあえずそう言って立ち上がったが、どうも、歯切れが悪くなった。
少女が、今度はだまって頷いた。
後ろ髪をひかれる思いとはこのことか……扉へ歩いていきながら、ティンバロは踏み出す足を妙に重く感じた。しかも、一歩踏み出すごとに、さらに重くなってゆく。
さすがにこれは気の持ちかたのせいではない、と気付いたのは扉にたどりついたときだ。頭がぐらぐらしてまっすぐ立てず、彼は扉にすがりついて、少女をふりむいた。
「おい、逃がすといっといて、こりゃ汚ねえぞ」
うなだれていた少女が、驚いたように顔をふりあげた。
「いつの間に毒を盛りやがったんだ」
そう言ったつもりが、すでにティンバロの呂律はあやしい。
少女が、すっと立ち上がって、歩み寄ってくる――それを見ながら、彼の意識は暗転し、ずるずると床に崩れおちた。
かくて――
ある者たちは出会い、またある者たちは別れ、ここより新たに物語をつむいでゆく。
砂漠の覇者の巣窟へと向かった者と、地下迷路にさまよった末ようやく活路を見出だした者。そして、謎につつまれた恐るべき五毒教の版図に知らずして足を踏み入れ、その虜となった者。あるいは、片腕を失い、毒におかされて復讐の悪鬼となった者……
彼らのさらなる運命は、『飛人跳屍』へと続く。
〜飛剣跳刀・了〜
※続編『飛人跳屍』もよろしければひき続きお楽しみ下さい&参加お待ちしております。