飛剣跳刀 71
あわてて両肩に手をかけ、ゆすぶりたてると、
「……ああ、助けに来てくれたのね」
城太郎にはついぞかけたこともない優しい声でいって、彼女は両腕を、ふわりと彼の背にまわした。
「もう、会えないかと思ったわ」
全然ちがう人間と勘違いしているのは、もはや疑う余地もない。
相手の、あまりに安堵しきった、委ねきった腕に抱きしめられて、城太郎はしばらくなすすべを失った。しかし、衣服を通して娘の柔らかな身体が感覚されてくると、狼狽せざるをえない。
誰の眼にも見えないが、彼は耳たぶまで真っ赤になって、
「あの……は、放してくれよ」
身をもがいた。もちろん、力ずくで跳ね飛ばすなら、たやすい。だが城太郎の性格では、頼り切っている相手を手荒に扱うことは不可能だったのだ。
「いや!」
と、ニルウィスはますますしっかり抱きついて、身体をわななかせた。
「……だって、怖い、怖いのよ……」
怖いといいながら、声は笑いをおびている。
「う……ん」
城太郎はぞくりとしつつも、声はこの人物の特徴でのんびり答えたが、
「――ごめん」
娘の身体を抱えなおすようなそぶりでやんわりとその向きを変えさせると、首筋を打って失神させてしまった。
ぐったりしたのをすかさず支えて、首をひねる。
「うーん、どうするかな」
あいかわらず春風駘蕩たる様子だから、全然困っているようには見えない。……見る者とてないが。
どうするかな、といったのは、この場合ニルウィスの扱いだったらしく、彼は一度背負おうとするそぶりをみせたが、やっぱりそこで抱えなおした。
――この先、迷路がどうなっているのかは判らない。背負ってしまうと、頭上との距離を測りちがえて、彼女の頭を天井?にぶつけるのではないか。
それをおそれて、彼は結局、いわゆるお姫様抱っこでニルウィスを運ぶことにしたのである。
が、側面――いってみれば壁にあたる部分に頭や足先をこすってしまう心配はまったくしなかった、否、思いつかなかったのは、じつに彼らしいうっかりぶりといえよう。
漆黒の闇のなかでは、時は流れぬのも同然である。……そこはすでに、猫なみに眼のきく城太郎にとってすら徹底的な暗黒であった。
道連れは、正気を失って、ためにやむを得ず気絶させっぱなしにしているニルウィスひとりだ。普通なら、それを抱えて迷路をさまよう者もまた、時をおかず発狂していたに違いない。
が……それが、常人ならぬ牙月城太郎。彼は闇を恐怖しない。そしてそれより、「才覚」とか「機転」とか、そういったものを求められては往生するほかないが、延々とつづく単調な作業は彼にとってはむしろ楽しみであった。