心恋 26
「そう? ゴメンね、仕事が終わらなくて」
努めて笑顔で一応の謝罪をしておく。
「ま、とにかく立ってないで座れよ」
「そうですよぉ。ねっ、桧山さん」
新庄さんはそう言いながら必要以上に桧山さんに身を寄せるし、桧山さんも別にとがめない。
桧山さんは上司だし、今日の主役は新庄さん。
だから場を白けさせないために彼女に付き合っているんだってことは私にだって解るし、そんな気遣いも桧山さんらしいと思う。
だけど桧山さんが新庄さんの隣にいるのは、やっぱり面白くない。
それが正直な気持ちだった。
そんなふたりを目の前に静かに腰を落とす。と、同時に横からビール瓶が現れた。
「来谷さん、どうぞ〜」
藤川くんだ。
「あ、ありがと…」
私は慌てて、逆さまになっていたグラスを返す。藤川くんがすぐさまビールを注いでくれた。しかし、視線は明らかに新庄さんに注がれている。
「隣に行けばいいのに」
意地悪で言ってみる。
「行けたら苦労してませんよ」
「…そうだねえ」
私は藤川くんに話しかけているのに、まるで自分のことのように呟いた。グラスを両手で持って、相変わらず新庄さんに引っ付かれてる桧山さんを目で追いながら。
テーブルの向こうにいるだけなのに、手を伸ばせば届く距離なのに、なんだかずっと遠くにいるように感じる。
ふいに桧山さんが中座する。するとすかさず、少し顔が赤らんできた新庄さんがこちらを向いて、満面の笑顔で言う。
「ユカコせんぱぁい、お席交換しませんか〜?」
私にとっては願ってもない申し出。だけど席を代わるということは、新庄さんが矢野くんの隣に座りたいと言っていることにもなる。
入社二年目の矢野くんたちは、基本的に新庄さんと接したことがない。出張、という形で一時的に帰国した時に顔を合わせる程度だった筈だ。
矢野くんの表情は、明らかに困惑の色を滲ませ、私に目配せする。
「…残念ながら藤川くんは目がキラキラしてるよ」
私がそっと耳打ちすると、矢野くんは藤川くんを確認して諦めの表情になる。
藤川くんは期待に胸膨らませ、チャンス到来と言わんばかりの顔をしていた。
「構わないけど、桧山さんとのお話は?」
「大丈夫ですぅ。」
何が大丈夫なんだかね、と心の中で呟きつつ席を立つ。
私が新庄さんのいた席に腰を下ろす頃、中座していた桧山さんが帰って来た。
鼓動がひとつ、大きく鳴ったような気がして、聞こえる筈もないのに周りを見回してしまった。