媚薬の罠 987
一瞬、ぼおっとして気がつくと、ふたりは部屋に戻っていた。
檜垣隆史は触手ちゃんをふたりから切り離してしまうこともできないわけじゃないが、触手ちゃんが死んでしまうことも考えられるので、できればしたくないと黒崎孝義と藤崎柚希に言った。
「ふたりのあいだに子供ができたら触手ちゃんは消えてしまうのか、それともずっと残るのかは、俺にもわからない。でも、今はふたりで触手ちゃんを育ててみるのもいいんじゃないかな」
檜垣隆史はそう言って笑った。
「檜垣さん、気になることがひとつあるんですが」
黒崎孝義はもぐりのセラピストを引退するのに、鷺原聖華からクライアントを紹介されているので、鷺原聖華にも引退することを話して納得してもらわないといけないと隆史に言った。
(せーかもパパが大好き)
「そう、触手ちゃんの言うとおりだな」
隆史は触手ちゃんに話しかけた。
触手ちゃんは知識や感情をカウンセラーの藤崎柚希から学習したことをベースにして、黒崎孝義が幻覚触手プレイをした女性たちを観察していた。
「触手ちゃん、聖華はパパを大好きだけど、ママや触手ちゃんはいらない、パパのことだけを欲しいと思ってるんだ。でも、そうなると、ママが泣いちゃうから、なんとかしてあげよう」
黒崎孝義に、隆史は鷺原聖華が会員制の催眠クラブを作っていることを教えた。
もぐりのセラピストをいきなり引退すれば、会費を集めておいていきなりサービスを中止したことで、会員から苦情が出る。本来なら、黒崎孝義が鷺原聖華や会員にその損失の謝罪として会費の返却以外にも、詐欺として訴えられないように金を払って手を打つ必要がある。
黒崎孝義が、藤崎柚希と触手ちゃんとの生活を選んだと知ったら、鷺原聖華は敵にまわる。クラブの会費の返却には応じるだろうが、その他の根回しには協力しないだろう。
「檜垣さん、それってどれくらいの金額なんでしょうか?」
藤崎柚希は、黒崎孝義の代わりに根回しの金を払うつもりで質問した。
黒崎孝義はため息をついた。
柚希の貯蓄では絶対に足りない金額なのは、クライアントの女性たちと関わってきた黒崎孝義には、すぐにわかった。
「黒崎さん、鷺原聖華とは今後、どんなに都合の良い条件、例えば藤崎さんと別れなくてもいいから、肉体関係を持ってつきあってほしいとか言われても、それに乗ったりしないって、俺と、今すぐここで約束できますか?」
隆史は触手ちゃんに、パパを使って鷺原聖華を観察するのは止めるように言ったあと、黒崎孝義にも忠告した。
「ああ、このままだと、詐欺師にされて刑務所にぶちこまれる」
黒崎孝義は、檜垣隆史の財力や権力が誰よりも強いことを知らない。
「鷺原聖華は父親に婚約者として、黒崎さんを認めさせるために、高額な会費でとりまきの女性たちを会員にして関係を持たせた。財力と人脈があれば、聖華の父親に黒崎さんを婚約者として認めさせることができるから」
「そんな、辞められないように仕組まれてるのに気がつかなかったなんて」
「もぐりのセラピストを何年か続けて、クライアントの女性たちが鷺原聖華に秘密を握られたら、聖華には逆らえなくなる。そこで引退して聖華の婚約者になる人生もある。黒崎さん、今なら選ぶことができるよ。藤崎さんや触手ちゃんと暮らす生活か、もぐりのセラピストとして利用したりされたりして暮らす生活か、どちらでもね」
「檜垣さんが、お金持ちのこわい人たちに、この人が詐欺師に仕立て上げられないようにできるとしても、どうして、この人を助けてくれるんですか?」
藤崎柚希がひどく緊張した声で、隆史に言った。
「触手ちゃんのお友達だからかな」
檜垣隆史は、藤崎柚希に笑顔で言った。その笑顔を見た柚希は隆史のことを信じてみたくなった。
「どうする、黒崎さん?」