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媚薬の罠
官能リレー小説 - レイプ

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媚薬の罠 951

宗教が法律として取り込まれて、法が生活の行動の規範を刑罰によるあからさまな強制ではなく、倫理や道徳という民衆の考えかたとして緩やかだが、しなやかに自主規制させるようになると、他人に質問することが許されるようになる。
すると、哲学や思想も反省と自分だけの内観から、他人とコミュニケーションをするようになっていく。わからないことは、他人にも確認してみる。
他人との情報共有や意思の疎通で、合意や意見の一致を重視するようになる。子供は、父親と母親に「卵が先か、鶏が先か」と同じ質問をしてみるだろう。
他人に質問せずに卵と鶏を観察しろと強制されたり、信仰心が足りないからよく書物を読み学べと叱られたりしない。哲学や思想を愛した人たちは、発言で処罰されなくなることで、間主観性、自分をふくめて2人以上の主観のあいだの他人との共通認識を重視するようになった。現象学はこうして成立する。
他者との話し合いから真理を導き出す思考法。これは多数決で物事を決定することの正当性が成立したことも関係している。君主制的な思考では王の意見や考えが最終的な主導権を握っていたが、より多くの民衆を動かすには、この間主観性の思考法は都合がよかった。
普遍的な真理、絶対的な正しさ。
哲学や思想は、観照、内省、コミュニケーションとその時代の社会システムに対応しながら思考してきた。
しかし、コミュニケーションによる思考法は、ファシズムを誕生させ、たとえばアドルフ・ヒトラーを歴史上に登場させることになった。
多数の他人の考えや観念が、真理や絶対的な正しさとは限らない。
「卵が先か、鶏が先か」という疑問に、哲学や思想を愛した人たちがはまったのは、どちらが先かという真理を証明する理論的根拠の作り方を考えることだったからである。
それが立証されたとして、人が社会システムのなかで生きやすくなるのか。真理が、何のために必要とされて考えられてきたのか。
差異A/卵と差異/C鶏の断絶をつなぐ差異/Bひよこ。
ひよこは、差異A/卵から差異C/鶏に姿を変えていく。しかし、差異A/卵の形状や特徴はない。また差異C/鶏と一致しない鳴き声や姿をしている。差異Aと差異Cではないから、差異Bといえる。
卵は産み落とされてから、殻の内部では変化しているが、殻の外見からはわからない。石膏の卵と生きている卵。静物になりすますもの。卵とは、倒錯的な状態といえる。
鬱屈した殻の中の生命。
マゾヒズム、自らの身体である殻を破壊したい自虐的な欲望。
そこから孵化して、ひよことなる。
差異Bのひよことして、差異/Aの卵ではない特徴を獲得する。
ひよこは殻を破って初めて見た動くものを、刷り込みによって親と認識する。関係性の中の存在であることを認識する。それまでは殻の中の生命であり、関係性の中で生きていなかった。

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