PiPi's World 投稿小説

媚薬の罠
官能リレー小説 - レイプ

の最初へ
 946
 948
の最後へ

媚薬の罠 948

卵が先か、鶏が先か。
因果性のジレンマは、平たく言えば「ニワトリとタマゴのどちらが先にできたのか」という問題である。昔の哲学者にとってこの疑問は、生命とこの世界全体がどのように始まったのかという疑問に行き着くものだった。
だが、差異を無視した連続性の中で考えるなら卵=鶏である。1羽の鶏の中にも、差異A/卵、差異B/ひよこ、差異C/鶏、という姿がちがう瞬間がある。それを過去から未来という流れで並べて、切り離したりしない。
何かを語られるのを聞く人は、差異Cの鶏から差異A/卵、差異/ひよこ、と話を聞いて差異/Cになっていくのを、過去の差異A/卵に戻る回想であることを前提に差異の並びかたを整理しながら、現在の差異/Cに到着する。
歴史性はこの回想という常識が、語る人と聞く人のあいだに共通の認識があることで成立する。かならず鶏が先である。
差異A/卵が孵化して、差異/Bひよこの過程があり、やがて差異C/鶏になるという知識があること。
回想で差異A/卵が現在ではなく過去の話である前提を共通した認識で方法だと知っていること。
知識と方法を常識と考えてもらえば、これが崩れてしまうと、たちまち理解できなくなってしまう。
差異A/卵がダチョウの卵、ワニの卵、ヘビの卵、カッコウの卵、スズメの卵、ニワトリの卵、メダカの卵とあらゆる卵の例が陳列されてしまったら、どうなるか。どの卵にも殻を破ることが同じという類似性があること、殻も大きさや硬さがそれぞれちがうこと、それぞれ生息する場所がちがう生息地と習性、殻を破って生まれてくるまでの時間や条件がちがうこと、卵として出産されて殻を破ることで産まれる=生まれるではない過程があること。
そして、それぞれの卵を補食する天敵がいること。
比較すること。差異A/卵が差異C/鶏の卵であること、卵から生まれてくる生物を比較することで、差異A/卵には多様性があることをふまえて、手のひらにのせられる大きさであることや両端は丸みと少し尖っている形状や、衝撃に弱いことなどの特徴というものかあらわれる。
その卵がいつ、どんなところに産み出されたのか。弥生時代の鶏を飼い始めた頃のわらの上の卵か、1945年5月のドイツ降伏後、若いドイツ兵の戦争捕虜の集団がデンマーク当局に引き渡されて、ナチス・ドイツが砂の中に埋めた200万以上の地雷を砂浜に一列に並び、少しずつほふく前進しながら撤去するために西海岸で手で砂をどけて探しているが、地雷撤去を強要された2千人以上の少年兵をふくむドイツ兵のうち約半数が命を落としたり手足を失ったりした状況下のデンマークの農村の鶏小屋の卵か、飼われている鶏の卵に、より詳細な状況説明が比較された上で加えられることで、卵の個別性、世界にひとつしか存在しない卵であることがわかってくる。

SNSでこの小説を紹介

レイプの他のリレー小説

こちらから小説を探す