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媚薬の罠
官能リレー小説 - レイプ

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媚薬の罠 946

木の枝を手折ることや草を根まで引き抜くという事例も記されている。追放にはならないが、師匠に注意される。ただ注意ではなく、水汲みをしたり修行者たちのために奉仕活動をする。
性的な行為が快感を弄ぶ娯楽だから戒めているわけではない。つまり、自ら暴力を行使することに対して戒められている。自慰は、自らの身体に対しての自虐的な暴力と考えられ戒められる。
他の仲間の信者から戒められるというよりも、自己責任で仲間になり修行して、自分に対して戒める自主規制の方針だった。在家信者に、出家信者が規範を強要するものではなかった。
ブッタと森で出家して修行することを選んだ場合と、修行者に援助支援する在家信者たちとは、戒律も許容範囲がちがうのだった。
もしも、承認欲求を満たす他人との交わりを望むなら、在家信者でいればよいのである。
信者自身にによる、自己肯定感の獲得のための修行となっている。自分が自分自身であることに満足して、世界と同じ存在だと受け入れられること。過去の後悔にとらわれ、他人と比較してしまうのは社会で生きていれば必ずある。そこに社会ではない自然の世界のなかの自分という認識を獲得すると、どうなるか。
自然を恐れた偶像崇拝と多神教の時代よりも前の、野生の思考の獲得。それは、同時に人間の文明にある規範からの脱却となるが、その時に自分自身の生きるための規範を再構築できなければ、それぞれの野生、つまり暴力を行使してしまう。
「律蔵」は新たな規範の再構築の失敗した信者たちの行った暴力の行使の例が記されている。

「犀の角のようにただ独り歩め」

野生の思考から規範を逸脱して、新たな性的な規範を模索する倒錯した弟子たちの告白を聞いて、ブッタはゆっくりとうなずくと、淡々とした口調で言った。
ただ気持ちがいいから性交する。
そこには労働力となる人を増やす生産性も、種族や血統の存続という思考はまったくない。恋愛や結婚、承認欲求すらない。あるのは快感と、絶頂の瞬間の生の空白。
医師フロイトはドラッグのもたらす快感の本質が強烈な絶頂ではなく、陶酔であることがわかっていなかった。
ドラッグの快感に溺れきってしまうと、承認欲求は満たされない。誰でも別にかまわない。誰かのためにという自己犠牲の心情もない。肌を合わせ性交しているのは、ドラッグの快感と陶酔を引き出すための生きた道具。性別も関係ない。自分はドラッグの忠実な奴隷。
バットトリップになった瞬間、ドラッグがキマッている間の無敵と思えるほどの自己肯定感が嘘のように失われる。
幻覚、幻聴、誰にも愛されていないような孤独な不安。
ドラッグの使用中に興奮して空腹を忘れ食事を摂取しなかったり、眠らなかった分の疲労と虚脱感が一気に襲ってきたように錯覚する。生きたいとも死にたいとも考えられない、虚無の境地。
精神安定剤、抗鬱薬、睡眠導入剤。医師フロイトの研究、ナチス・ドイツの生体実験、今まで精神科に通院した患者たちの投薬治療の情報。
常識の破壊。個別性が信じられい。同じものだらけに感じる。同じ人だらけに感じる。同一性が信じられない。目を離したら、似たものにすりかわってしまうのではないか。話しかけられた。どうすればいいのかわからない。ドラッグのダメージは行動の規範を混乱させてしまう。
実践的な行動に何をすればいいのか、わからなくなってしまう。
罪の告白するとき、過去の語られる私と語っている私の個別性はふたつに分裂する。それに対して説明が加えられることで、同一性が失われる。聖職者はここで快感を自分で引き出す自慰に任せるか、聖書をただ聞いていなさいと朗読の声で思考を奪った。音楽のように聖書が読み上げられる。ここで医師フロイトはドラッグを服用させた。

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