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媚薬の罠
官能リレー小説 - レイプ

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媚薬の罠 945

キリスト教が神聖ローマ帝国で弾圧されていた時期から、やがて国教として保護される時に、イエス・キリストを全人類の原罪を命で償う神の子とする新約聖書によって、信者へ門を開くと同時に、自己犠牲という美徳という考えを広めた。
この自己犠牲の滅びの美学は、忠誠心という道徳規範として、ローマ帝国から、王侯貴族と聖職者たちが法によって権力を握った時代をすぎ、第2時世界大戦の戦場でも、道徳規範の愛国心として使われていた。騎士道、愛国心、任侠……自己犠牲の滅びの美学は、医師フロイトが死の欲動と性的な欲望が密接に関わっているものとして想像したものに近い。性的な欲望が、集団生活のなかで個人が集団または恋愛対象のために、どうやって役に立つ存在かを行動で証明できるのかという生存戦略、承認の欲求がふくまれた性的な行為となったとき、同時に死の欲動は、あの人やみんなのために認められるなら死んでもいい、という滅びの美学を生み出した。
自己犠牲の承認欲求の対象は集団だったので、身体的な性別は承認されるなら、どちらでもよかった。
自慰行為には承認欲求はもともと関係なかったのだが、恋愛という承認欲求と性的な実践的な行為が結びつけられたことで、他者とのかかわりの性行為の快感のかわりを妄想する倒錯、承認されたい相手との性交、または承認させたい相手との性交の快感を妄想するものに変わったのである。
性的な欲望は抑圧されているというのはこの社会の集団のなかで、戦略としての承認欲求の実践的行動というつながりは失ったことで、死の欲動の影響で集団ではなく、個人の快感を求める行動であるはずの自慰は小さな自虐的暴力の消極的な行動となる変化である。
懺悔室で聖職者の視線や興奮を妄想して行われた信者の乙女の自慰行為は、承認欲求の実践的行動であり、自虐的暴力の消極的な行動からは、解放されている。
彼女が聖職者との性交を妄想している点では、野生の単純に快感を求める自慰ではない。倒錯ではあるが、自虐的な暴力ではない。
キリスト教の広まった最大の理由。それは、大いなる神からすべて許され、全肯定の愛で、人は誰でも平等に承認されているという教えだからである。

「人間のみならず、動物と性交をおこなった修行者は教団から追放される」

「女の口、小便口、肛門を犯した修行僧は教団から追放される」

「女の死体のなかで腐乱せずに残っていた口、小便口、肛門を犯した修行者も追放される」

これらは仏教の信者たちが生活規則集とされていた「律蔵」という仏典に記されている。獣姦、強姦、屍姦が戒められている。
たとえば、修行者の女性信者が眠っている間に、何者かわからないまま、目が覚めたら犯されていたという場合は、追放とはならないことも「律蔵」には記されている。
自慰については、男性信者が身体が柔軟で、自分の口唇で自分の逸物をしゃぶっていた事例が上げられていて、追放と記されている。
ブッタのそばで世間から離れて出家している信者用の「律蔵」は追放と記されているが、還俗、出家信者から世間で暮らす在家信者に戻るという意味である。
まず、違反行為をしてしまったと師匠に告白し、そのまま反省して許されたり、6日間の謹慎などが決められる。
しかし、殺人、性的な違反行為、悟りを開いたと他の信者に吹聴するなどの場合は、師匠に告白しても許されず、世間から離れた修行の場の森から去る還俗を言い渡されることになる。
「律蔵」はその事例を信者に教えるものであり、違反したから処刑されるといったものではない。

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