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媚薬の罠
官能リレー小説 - レイプ

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媚薬の罠 941

かつては裁判が行われる前に拷問を行う必要があった。それは証拠となるもので一番重要性が高いものが、被疑者の自供と考えられていたからである。
しかし、これは拷問する者と拷問に耐え抜く被疑者の対決の要素が強かった。自供させれば法権力側の勝利であり、拷問の苦痛に耐え抜けさえすれば、証拠不十分で被疑者は解放される。
取調べは我慢くらべの勝負である。その結果、被疑者を拷問で自供させずに殺害してしまい、事件が解決したとされることもあった。
罪人を排除する法の考えかたでは、取調べや裁判は排除の目的の準備であり、それは、成果を上げるための手段にすぎない。成果として理不尽な判決や処刑が行われてきた。それは、法権力を維持するために行使される暴力であった。
公開処刑が行われているのを、民衆が見るために集まっているのは、処刑される罪人はもう死ぬとわかっていて、それ以上はもう裁かれないので、何を発言しようが自由だったからである。
政治や宗教についても発言できた。何を命がけで、処刑を見るために来た自分たちに、この人は言い残すのか。それを見とどけるために、民衆は処刑に立ち会っていた。罪人の発言に民衆が拍手喝采しても咎められなかった。また罪人の発言に罵詈雑言を浴びせる民衆も同様に咎められなかった。公開処刑は、刑罰の見せしめでもあり、法権力の成果の御披露目でもあった。
こうした取調べ、裁判、処刑は社会からの人の排除が目的だった。それが排除ではなく支配して服従させる目的に変わると、理不尽な判決や処刑ではなく、拘束して罪人を生かしておくようになった。
公開処刑の死のインパクトは強い恐怖を民衆に与えるが、その分だけ嫌悪感や反発も生み出す。
公開処刑を民衆が残虐なショーとして、見世物のように見て楽しんでいたわけではない。また、神へ罪人の命を処刑して捧げ、王や民衆が祈る儀式と祝祭だったわけでもない。
ジャンヌ・ダルクの処刑や、王妃マリー・アントワネットの処刑の民衆に与えた影響は、歴史に影響を残している。
フランス革命当時、貴族と高級聖職者は全国民の2%だった。
フランス革命の前はキリスト教カトリック教会が、多くの土地を所有していました。フランス革命後の影響として土地は国有化され、それと同時にカトリックが弾圧されるようになった。国家レベルでカトリックそのものが弾圧されたというのはフランスだけである。
聖職者は弾圧されたが、貴族は全員処刑されなかったのは、マリー・アントワネットの処刑後、民衆から貴族の処刑を躊躇する声が出たからだと言われている。

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