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媚薬の罠
官能リレー小説 - レイプ

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媚薬の罠 938

第三に、正統信仰を裏づけて保証する文献として、聖書正典が定められた。
すでに教会は旧約聖書を正典として受け入れてきたが、それに加えて典礼の場で用いられた、ナザレのイエスをキリストと証言する文献が、新約聖書として定められたのである。
神に選ばれた者たち以外でも、すべての原罪を背負って磔にされたイエス・キリストの像の前で祈りを捧げれば、神の祝福がもたらされるという神との新しい契約、ノアやモーゼのあとイエス・キリストが犠牲になって神と再契約をしたという考え方を導入したので、信者の受け入れがしやすくなった。
司教制の確立、信条の制定、聖書正典の成立は、ほぼ迫害の終息と同じ時期にあたっている。
自己犠牲というものが、この時に確立した。イエス・キリストが身代わりになって原罪を贖罪してくれて、苦痛や死を受け入れてから、神により復活した。誰かのために自己を犠牲にできる覚悟や行動は尊いという考え方は、キリスト教だけでなく、戦場で戦うローマ人たちには共感された。自分の命だけを怯えてかばっていれば、士気は低い。勝てる戦いも負けて、敵に殺され、全滅する。
サクレ・クール Sacre-Coeur、聖心という漢字があてられているもの。ジャンヌ・ダルクの処刑の噂で、なぜフランスの男性たちが一時的に団結したのか。誰かのために自己犠牲になることで、自分の生きていることを肯定したいという思いからであった。それは戦争に利用される危うさもありながら、群れのなかで他人に認められていれば、排斥されないという安心感を感じたいというところに強く響くものがあった。

「王冠は奪われましたが、わたくしは王妃でした。夫はあなた方に殺されて、子供達も奪われてしまいました。残っているのはわたくしの血だけです。それも差し上げましょう。でも、私を長く苦しませないでください」

起訴状を読み上げられたあと、フランス王妃マリー・アントワネットの発言として伝えられている言葉である。
残っているのはわたくしの血だけです。それも差し上げましょう。
19歳で民衆の前に全裸で引き出され、火炙りで処刑された少女ジャンヌ・ダルクが、このフランス王妃マリー・アントワネットの裁判の発言を聞いていたとすれば、どう感じただろうか。
ジャンヌ・ダルクはフランスの危機を感じ、キリスト像に祈りを捧げていると、天使があらわれた。そして、何が自分にできるか教えられ、そのお告げに従って行動した。それがオルレアンの少女に、戦場で英雄の社会的地位を授けた。
ジャンヌ・ダルクは命も捧げた。
そうして侵略から守られたフランスで、またひとりの女性が、社会的地位の責任をその命で購わされるために、裁判にかけられている。
貴族は男性と同じように、配偶者が亡くなった時は地位や財産を継承できる。
その法律に従って裁判が行われている。マリー・アントワネットを生かしておくということは、フランスの王位を、彼女が継承するということなのであった。

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