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媚薬の罠
官能リレー小説 - レイプ

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媚薬の罠 937

遠い過去の言葉が未来に繰り返される。かつて、キリスト者と呼ばれて迫害された信者たちに向けられた言葉は、異端者に向けてキリスト教の信者たちが魔女と決めつけた人たちにぶつけた。
もちろん、ジャンヌ・ダルクにも牢に入れられている時に、彼女は脱走のおそれがあるので兵士が常に2人つけられていたが、彼らから「お前らは、食糧がなければ人の肉を食うんだろう?」と罵詈雑言を浴びせられた。
幻想界に漂う情報の欠片から再構成されるものが、感動を与える美しいものばかりではないことがわかる。悲しみを与える罵詈雑言も再構成されている。
ローマ帝国の精神的風土は多神教とヘレニズム文化によって彩られていた。
そうしたなかに広がっていったキリスト教は、独自性を保つために幾つかの問題に直面した。
ローマ帝国内で盛んであった種々の密儀宗教との対決である。その多くはキリスト教の洗礼や聖餐式に類似した儀式を行っていた。そのため、聖書信仰との境目がうやむやになる危険性が常にあった。
また一方では、宗教の本質は超自然的知恵(グノーシス)を得ることであるとする哲学的な宗教も盛んだった。
それは、霊肉二元論をうちたて、精神や魂を罪と滅びの原理である物質や肉体よりも優れたものとみなしていた。
ごく初期から教会内部にはこの立場からキリストを理解しようとする者が現れ、キリストはグノーシスの現れであり、地上のイエスの肉体は仮にそう見えただけのことと唱えた。しかし、そうなれば神の御言葉の受肉や十字架の贖いも意味をなさなくなってしまうとして、早くも使徒パウロやヨハネは、こうした異質の信仰の信者たちと議論しなければならなかった。
以上のような外からの迫害や内からの異端との戦いという教会の危機に対処していく過程で、独自性を保つ道筋が次第に整えられていった。
第一に司教制の確立である。すでに2世紀初頭、アンチオケのイグナチオは司教は使徒たちのあかしを継承する正統信仰の担い手であり、教会は司教を中心として成立することを主張している。
司教、あるいは司教団こそはあらゆる異説に対抗する防波堤、教理と信仰教育の担い手とされた。
第二に「信仰の尺度」と呼ばれた信条が制定された。初代教会以来、洗礼志願者は信者会衆の前で信仰定式文を読み上げて信仰告白を行っていた。こんな夢をみました、という告白などもあった。
それが正統と異端を見分ける尺度として用いられるようになった。
ジャンヌ・ダルクが、祈りを捧げているとあらわれた天使が私に告げたということを語ったが、これは正統か異端か。そこを審議するために裁判が開かれた。ジャンヌ・ダルクの告白についての審議であり、彼女自身の命は同胞の命を多く奪った敵であり、身代金も払われない役立たずとして、処刑することがすでに裁判の前にジャンヌ・ダルク以外の関係者の間では話し合われていた。

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