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媚薬の罠
官能リレー小説 - レイプ

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媚薬の罠 933

フランスやドイツは各領邦の君主の考えによって様相に大きな差があり、イタリアでは魔女裁判の件数こそ多いが、そのほとんどが鞭打ち程度で済んでいた。スペインでは異端審問は盛んだったが魔女狩りに発展することはなかった。
イギリスでは1590年代がピークであり、スコットランドでは1590年代から1660年代がピークだった。ポーランドやハンガリーでも激しい魔女狩りがおこなわれていた。
魔女とついているので対象は女性だと連想しがちだが、魔女狩りは男性も対象になっていた。たとえばアイスランドでは、裁判にかけられたおよそ80%が男性だったことがわかっている。
魔女狩りがおこなわれた理由については、代表的なものは、犠牲者の財産を目的にした金銭目当てとする説、キリスト教を信仰しない異教者迫害説、戦争や天災に対する怒りをぶつけたとする災禍反応説、権力者が支配を誇示する手段として用いる社会制御手段説などがある。
暴力の行使である魔女狩りはひとつの目的のためではなく、さまざまな要因が重なって実行されたものだと考えられる。
たとえば1435年にドイツの魔女裁判で処刑されたアグネス・ベルナウアーは裕福な商家の娘で、領主であるバイエルン公エルンストの御曹司に見初められ、結婚した。
しかし当時、その御曹司はヴュルテンベルク伯エーバーハルト3世の娘と婚約中だった。娘を翻弄されたエーバーハルト3世と、父親のエルンストも激怒し、結果としてアグネスはアルブレヒトをたぶらかした魔女として殺された。
こうした痴情のもつれなど事情で、魔女狩りが利用された例もあった。
古代宗教の時代から戦争の時代をすぎてキリスト教の聖職者が権力を行使していた時代で、権力者である王侯貴族と聖職者が民衆を法の正義という根拠で、暴力の行使の自由を奪われたが、その暴力性は制御から逸脱した。
生存の危機を感じ、仲間はずれの不安が高まる状況になれば、自然の法のなかで生きていた個人の暴力性はかたちを変えて、魔女狩りのような出来事を引き起こした。
14世紀半ばから百十数年にわたって、フランスを戦場にイギリスとの戦争が断続的に行われていた。
イングランド王がフランス国内に領土を有し、フランス王位継承権を争ったのが発端である。
終結に向けてフランスのシャルル6世とイングランドのヘンリー5世が署名した1420年のトロワ条約には、ヘンリー5世はシャルル6世の娘キャサリンと結婚し、シャルル6世なき後の王位は、ヘンリー5世および彼の子に継承され、ふたつの王位を統合するだろうと考えられていた。
1442年にシャルル6世が亡くなり、次いでヘンリー5世も亡くなったため、条約通りにイギリスのまだ幼いヘンリー6世がフランス王位につくかどうかで紛糾し、再び交戦状態となった。
当時パリの南西116キロのオルレアンがフランス王家の拠点だったが、イングランド軍に包囲されてしまった。
突如、この危機を救うべく神託を受けたというオルレアンの少女ジャンヌ・ダルクは鎧に身を包み、白馬にまたがって軍旗を捧げながら、仲間の兵隊を鼓舞し突撃を敢行した。
イングランド軍に押され通しだったフランス軍は、ジャンヌ・ダルクの活躍により、ついにオルレアンを7ヵ月振りに包囲網から解放した。
ジャンヌは神託に基づき王太子シャルルを歴代の国王と同じように、ランスの大聖堂で7世として戴冠式をあげることを主張した。
このためにジャンヌ・ダルクは、フランス北東部のランスまでの都市を次々と傘下に入れ、ついにランスの大聖堂でフランス国王シャルル7世の戴冠式が挙行された。
さらに国王の地位を盤石なものにするため、首都パリの奪還を目指して進軍したジャンヌの軍勢だったが、彼女はイングランド軍に捕らえられてしまった。

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