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媚薬の罠
官能リレー小説 - レイプ

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媚薬の罠 931

神は神の代行者である王と儀式や神託とのみ対話し、自然の摂理のなかで起きる理不尽な出来事も、神という存在を根拠にすることで、気持ちを整理することができた。王であれ神=自然の摂理の前では人間であり、神の代行者として強い権力を握っているが、その権力の根拠が失われたと判断されたら、簡単に交代、つまり生贄として殺害されたり、群れから追放された。そして新たな神の代行者の出現に不安を常に抱えていた。
このあたりの不安は、ギリシャ神話のウラヌス、クロノス、ゼウスが、次の支配者の出現をおそれて子を飲みこんでしまう逸話に反映されている。
キリスト教の聖職者たちはこの不安は、権威が揺らぎ始めるまではなかった。王侯貴族たちが政治を行い、聖職者はその補佐として進言するだけでよく、信者の平民である民衆の貧困の不満などの矛先は、王侯貴族に向いていたからである。
また、古代の神の代行者とされた王は、自らの権限で民たちを裁かなければならず、判断を誤れば代行者ではないと生贄として殺害されたり、追放されてしまう恐怖を抱えていた。聖職者たちは、告解(懺悔)によって信者が自分から罪を自白して知らせてきてくれ、それを自分では手に負えないと判断すれば、王侯貴族に裁きの判断を委ねることができた。
権力の責任の分散は、自然の法ではない社会システムの導入、法の正義というものを定めることて誕生した。
戦争は虐殺する暴力であり、その暴力は勝利した国によって法によって正当化された。暴力を行使する自由は、法を制定する儀式によって民から権力者たちに集められ、民から剥奪される。
自然の法=神の存在が最高権力者の王を代行者として支配していた時代の暴力を行使する根拠とは、人の生存のために行使されるという根拠だった。
自然の摂理=多神教の神の信仰かあり、代行者の王が責任を背負う社会システムは、目的の正しさによって、手段を正当化してきた。それが手段が暴力であっても、生存のためという動機であれば行われる。狩猟。神への供犠の儀式。命の奪い合いは個人ではなく群れの生存のための暴力であった。
だから性交も個人と個人としてのふたりではなく、儀式として集団で行っていたのではないかと考えられている。
戦争で国の領土を拡大するようになると王の役割は、戦争で勝利を導くこと、民を公平に裁くことが求められ、自然の理不尽な摂理の神=代行者の王という考え方はされなくなった。
あらゆる行動を全肯定された神と執政者の王。ギリシャ神話のゼウスとアテナの関係性である。アテナは神々の多数決の審判を行い、結果として神々の新たな役割を定める。また、ゼウスも「黄金の果実」をめぐって3人の女神が不和となる逸話で、パリスに誰に果実を渡すかという手続きを委任している。

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