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媚薬の罠
官能リレー小説 - レイプ

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媚薬の罠 929

性的な欲望は暴力の動機ともなるために禁じられたというのは逆で、暴力が先にあって、その行動を理由づけしようとした時に、語るために性的な欲望が選ばれたといえる。
本能と生存のための欲望を動機とした暴力は、群れではなくそれぞれの個人に平等に与えられている。
社会システムや経済が存在しない自然のなかで、生存の手段は欲望と密接に重なり、生存をおびやかす恐怖には逃亡か暴力という二者択一の選択しかない。性的な欲望を我慢することなく、性交か自慰をしていたにちがいない。
猿の生態の観察から、猿も物に性器を擦りつけたりする自慰行為が確認されている。
弱肉強食、または食物連鎖。自然の法とは生存が目的としてあり、生存が動機である限り、暴力による殺戮も容認されている。そんな中で性交は行わなくても、肉体の生命維持には影響はない。性的な欲望というのは、自然の法からは過剰な差異としてある。自慰や性交とは、依存性がある快感を求める自然の法の違反行為の暴力である。
「産めよ、増えよ、地に満ちよ」
旧約聖書で大洪水のあと、雨上がりのあとの虹を思わせるものを前に、神とノアが誓約する逸話。
自然の法を肯定すること。食物連鎖として他の生物食すこと。そして、性交を肯定することが、虹の誓約によって行われている。キリスト教は自然の法にともなう暴力を否定したわけでなく、是認した。これは目的が正しければ、それで行われた行動もまた正当であるという考え方である。旧約聖書の世界では、まだ神と人間が対話していた。

「エーロイ、エーロイ、ラマ、サバクタニ」(我が神、我が神、何ゆえ我を見捨て給いき)

新約聖書のイエス・キリストの磔刑の逸話となると、神はノアやモーゼのようにイエス・キリストと対話しない存在となっている。死を迎えるイエス・キリストの呼びかけに、神は沈黙する。
ここで何が起きているのか。
沈黙は、肯定でも否定でもない。
自然の法の前では饒舌に歌うように対話していた神の存在が空虚となることで、神への信仰というものが変わる。

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