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媚薬の罠
官能リレー小説 - レイプ

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媚薬の罠 925

キリスト教における権力関係では、性的な行為のみならず、性的な欲望を抱くことも罪とみなされ始めて、告解(懺悔)という形式において、人々はすべての性的な欲望を、言葉で語り告白する義務を負わされた。
また、18世紀になると、国家は労働力の確保の問題から人口政策として性行為の問題に介入した。
性的な欲望や性行為が行政、監督の対象となり、国民の性欲や性行為の実態を知り、管理統制するために、プライベートな性の情報を告解(懺悔)によって聖職者たちに報告することを要請された。
結局、権力が性の欲望や性行為についての語ることを禁止し抑圧したがための沈黙ではなく、性的な表現を権力によって囲い込んだことによって生ずる沈黙である。一部の性的な表現行為が禁止されるのは、権力によって公認された場(当時のキリスト教の支配下ならは教会の懺悔室)において語らせるためであり、語ることすべての禁止ではなく、語る場所を限定した囲い込みともいえる。
18世紀末になると、キリスト教の聖職者が規定した正規の婚姻関係、つまり、一夫一妻制における性生活のあり方を正常とする暗黙の基準によって、生殖行為以外の性は倒錯あるいは異常とみなされる周縁的な性というものがあらわれてくる。
倫理規制のある隠されたバージョンが作られることによって、無修正バージョンが比較としてあらわわれて、別の価値が付加されるように。
権力により、逸脱された性的な情報は綿密に規定、監視、管理され、それらを特別な場で語ることを義務づけされた。
性的な倒錯を明るみに出そうとする関心が、むしろ性倒錯というものを拡大し、細分化し、人々の中にそれが浸透するにつれて、秘密を握る権力も深くまで入り込む侵入経路を獲得した。すべての個人が自分の心の隅々まで欲望について調査し、言語化され、肉親や知人間で互いを監視しあうシステムが形成され、秘密の性倒錯について調べる、調べられる快楽が人々を虜にした。
これは群れのなかで不要な者と峻別されないように警戒する本能が、ホモ・サピエンスの群れが作られた時から、ずっと継続しているからである。
快楽と権力は手をつなぐ。
性を監視する権力の強化は、同時にその監視をくぐり抜ける快楽をもたらし、倒錯はさらに拡大し、権力もまたそれに合わせて再強化されるという、相互補強の関係ができた。
行為としての性倒錯は、個人の本性としての倒錯としてみなされた。
たとえば、キリスト教の教義では男色は禁じられた罪を犯した罪人、違反行為をした人間であったものが、医学として精神分析が誕生すると同性愛者という症例として、医学的に分類されるようになった。規範から逸脱した性を裁く役目は、聖職者たちの法廷から、医師たちの病院へ引き継がれる。
これにより法の死角として曖昧なまま放置されていたすべての性倒錯が炙り出されるように、医学の管理下におかれた。
これら性と権力の関係は共犯的な扇動と強化の構造としてあり、権力の拡大と共に性欲望も増殖し多様化していく。
権力が法的な審級として性を禁圧するという性の抑圧ではなく、法とはまったく異なるシステムが、性と権力の間に働いているという事実がわかる。
フロイトが描いた家族を中心とした性抑圧の構造は、むしろ抑圧ではなく自慰や近親相姦などの多様な性的な欲望を、扇動し創出するシステムだった。
一般的に権力というものは法的な力関係として考えらる。それは、規則、排除、検閲、禁止、処罰、統一性、などの特徴によって表されるものだった。規則を立て、禁止し、処罰し、統制する法的権力があって、それに服従し抑圧される人がいる、という構造の権力関係の考えかたである。
しかし、こうした法的な権力の表象というものは、実はもっと強制的な権力関係で支配していることを偽装するために生じたもので、権力というものを単純に自由に対する制限だと考えさせておくことが、権力を受容させるための条件として機能していた。

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