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媚薬の罠
官能リレー小説 - レイプ

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媚薬の罠 915

キリスト教を解釈して生まれた倫理や道徳の常識だけではなく、女性にセックスするのを受け入れさせる手段や出産だけでなく育児をさせるにはどうすればいいかと考えた男性たちがいた。
フランス革命の時に決起した女性たちの不満は、食糧難で平民が飢えて死んでいるのに、貴族がパーティーしてご馳走を食べて暮らしているのが許せないという単純な理由ではなかった。
女性だからという理由で、行動を制限されたり、時にはセックスを強要され、家事や育児などを丸投げされたりする社会の規範や常識を革命したかった。
新しい規範を優生学の研究者たちが求めたように、女性たちもフランス革命の決起で新しい規範を持つ社会システムを、今の社会システムを破壊して1度まっさらにして作り直して欲しいという考えから行動した。
それは、他の時代の哲学者、宗教家、思想家などと同じ、今の社会システムを放棄して、前のシステムに戻したほうがいいかも、という考え方と共通している。
1789年にフランス革命により「人間と市民の権利の宣言」いわゆるフランス人権宣言が採決された。
だが、この「人間」とは男性のことであり、男性にのみ権利を与えることに対して、女性が抗議し女性の権利を求める運動が欧州各地に広がった。

「人は女として生まれるのではない。女になるのだ」

1949年にフランスの作家シモーヌ・ド・ヴォーボワールが「第2の性」という著作でこう書き記している。女性への待遇について歴史を通して考察した作品であり、男女同権論の代表的作品とされている。
第2時世界大戦以降に女性によって書かれた言葉。それは戦争の殺戮、男性と女性の性差も関係ない平等にもたらされる死の歴史を越えたあとの時代の言葉である。
平等は、差異を認めた上で、同じ権利や行動の自由を認められているという意味だが、生と死の選択を許されずに殺戮される状況の平等性をルイス・キャロルは気づいていた。
アリスを処刑しようとするトランプの女王のセリフは「処刑が先、判決は後」である。
そして、このセリフにはセックスが先で妊娠がわかるのは後という意味も隠されている。
裁判と判決が先で、処罰や処刑が後ということが人権を認めた対応だとすれば、セックスや戦争の虐殺は、この手順が逆になっている出来事である。
シモーヌ・ド・ヴォーボワールの「女になるのだ」というのは、身体は女性として生まれてくるという選択の余地がない事実があり、その後にジェンダーとしての女性らしさを教え込まれるという意味である。
「処刑が先、判決は後」というのは、身体が女性であることは、後づけされた女性らしさの規範や与えられる役割の根拠にはならないということでもある。
しかし、社会システムは意味づけが先に行われ、その根拠を選択不可のものに結びつけることで、理論的に立証しようとする。
ジェンダー(gender)とは、生物学的な身体の性別に対して、社会的・文化的につくられる性別のこと。
その社会システムや文化の常識で考えられる男性と女性の役割の違いや、話し方や服装まで、さまざなジェンダーを教え込まれる。

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