PiPi's World 投稿小説

媚薬の罠
官能リレー小説 - レイプ

の最初へ
 897
 899
の最後へ

媚薬の罠 899


「薬は病気を治すだけでなく、疑いも治す」

「官僚にとって、世界とは彼によって操作される単なるモノである」

「それが誰の役にも立たないならそれは商品とは言えない」

「哲学は現実世界の研究に対して、自慰行為が性愛に対するのと、同等の関係にある」

「弱い者はいつも奇跡を信じることで救いを見つけるものだ」

カール・マルクスは宗教、哲学、経済について考えた思想家だか、その言葉の破片はドラッグ使用者や創作することの意味を喪失した者へも言葉の破片として突き刺さる。まるで鏃のような言葉である。

「哲学者たちは世界をさまざまに解釈してきただけだ。世界を変えることが大切なのに」

ドラッグ使用者は世界と自分が薬物を服用するだけで変わったと錯覚する。創作することが、差異を感じさせる破片を作り出して、生きている者の心をゆさぶり世界の在り方、とりわけ人の行動を変えると信じられない者は、世界は自分が何をしようと一切変わらないと絶望を信じ込んでいる。
作家は自分の作品を読者から感動したと言われたり、考え方が変わったぐらい感銘を受けたと誉められると、執筆活動の労働の苦労が意味があったと感じるために良かったと安堵する。
しかし、藤井茉莉のように本人だけが創作している意識が希薄、破壊された破片を寄せ集めて不完全なモノを作り出しているのに、それが商品として流通していることにあきれている者からすれば、自分の作品を賛辞する人はバカだと軽蔑すらする。
「ミロのヴィーナス」は両腕と両手を欠落している。しかし、その欠落した部分が人とのコミュニケーションに関わる部分であったために、見る者に腕や手があった可能性だけでなく、自分の腕や手がどれほどコミュニケーションに役立っているか、または自分のために役立っているかを思い浮かばせる想像力を誘発する差異として芸術品と絶賛される。
官能小説家の藤井茉莉が執筆したデビュー作の一冊の小説には、ドラッグという情報の破片が欠落している。
しかし、快感や恍惚が人の心にどのような変化をもたらし、のちの行動に影響を与えるのかを描写しているから、なおさら欠落した情報への想像力が誘発されてしまう。
最初の読者は作家自身なのだが、本人は欠落に気づいていない、または、熟練した創作者の場合は欠落させることであえて情報を伝えようと画策する。
まだ若いデビューしたての官能小説家である藤井茉莉は、AV女優と対談するまで何が欠落しているのか気づかず、彼女なりに過不足なく文章という記号を組み合わせたつもりでいた。

SNSでこの小説を紹介

レイプの他のリレー小説

こちらから小説を探す