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媚薬の罠
官能リレー小説 - レイプ

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媚薬の罠 898

だが、複数の男性に犯されることに「牝の淫らな悦び」に目覚めたのなら、調教される快感を教えるようになるよりも、撮影されながら複数の男優に次々と犯され続けることを選ぶようになるのではないだろうか。
藤井茉莉は、調教された復讐を年下の生徒を誘惑して果たすまでは想像した。しかし、現実はさらにその後があった。

縄文人たちは子孫を残すために、ひとりの女性に何人もの男性が一晩中、交代して交わり続けることもあった。
それは儀式であり、また存続に必要なことでもあった。

「人間が宗教をつくるのであって、宗教が人間をつくるのではない」

「人間は自分自身の歴史を創る。だが、思うままにではない。自分で選んだ環境の元でではなくて、すぐ目の前にある、与えられ、持越されてきた環境の元で創るのである」

「社会から切り離された“自我”など有り得ないし、社会と無関係に生きることなど何人たりとも出来ない」

「宗教は抑圧された生物の嘆息であり、また、それが魂なき状態の心情であると等しく、無情の世界の感情である。つまり、それは民衆の阿片である」

縄文人の交わりから、大学生の集団レイプに変わった瞬間「魂なき状態の心情」と変わるだろう。
カール・マルクスは比喩として「民衆の阿片」と記しているが、比喩ではなく彼らはドラッグと酒を使用しなければ、常識の規範という抑圧から自分を解放することができない臆病さがあった。
縄文人は、抑圧される規範があるとすれば命の危険の恐怖だけで、しかし恐怖を自力で越えなければ狩猟して生き抜くことができなかった。
自分が世界のすべてなどではないこと。自分はいつか死ぬこと。
それは縄文人も彼女を集団レイプした男性たちも同じはずだが、MDMAの効果によって自分に思い通りにならないものはないと思い込み、自分やレイプされた女性も死ぬかもしれないということは考えられなくなっていた。
縄文人が焚き火を燃やしながら、一晩中セックスし続けている間も、生きているうちは、自然の連鎖から切り離された存在でなければならない。狩らなければ、他の動物から狩られる。明日でも死ぬかもしれない。常に死ぬ日が来ることを感じていた。
恍惚が生まれるのは、この悲劇的な世界と他人から切り離された孤独、生と死が隣接している瞬間である。
しかし、恍惚(エクスタシー)という呼ばれかたもするMDMAという幻覚剤まじりの合成麻薬は、抑圧である規範を違反することに躊躇や恥じらいを失わせるだけでなく、奇妙な世界との一体感と同時に死への関心を失わせて、偽の恍惚感によってセックスの恍惚感が続いていると錯覚させてしまう。

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