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媚薬の罠
官能リレー小説 - レイプ

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媚薬の罠 895

家族や国家、社会といった枠を超えている過剰な欲望という意味で、レズビアンの乙女や少女を描く時だけ編集者から抑圧を受けることになるのだが、それを放棄しないですり替えて作品に落とし込む技術を向上させることに余念はない。
動物になること。同性愛の恋愛を、男女の性愛に変換する技法。「姥皮」の昔話ではないが編集者の監視の目をかいくぐり、創作活動を続けている。
緒川翠が男性の同性愛の小説のイラストの仕事を受けて、その文庫本の巻末に通常なら解説が載る部分に、猫好きの女性作家と対談する企画をする。それは、男性の同性愛の小説を読んで、男女の恋愛や性愛のすり替えだと読み解くことができるからだった。
この対談は巻末の解説よりも何人も緒川翠に合わせておしゃべりさせたほうがおもしろいと出版社の編集会議で企画が変更された。一冊の対談集にしたほうが売れると判断されたのである。
「神は細部に宿る(God is in the details)」は、ドイツの建築家のミース・ファンデルローエの言葉である。
緒川翠はイラストの依頼を受けて、どのシーンを視覚化するか考えながら小説を読んでいた。
すると猫好きの作家の小説のなかで、猫を撫でた手触りについての描写がなかなか艶かしいと気づいた。
文庫本の巻末には解説ではなく、緒川翠のイラストが掲載された。猫を抱く主人公の少年と、それを愛しそうに背後からそっと抱き締めている青年のイラストは、読者の心をわしづかみにした。
挿絵の仕事の依頼は、江戸時代の浮世絵師の頃から変わらないと緒川翠は隆史から聞いた情報もふまえて対談し、主人公の少年に猫を抱かせた理由を作者から質問されると、猫を撫でた少年が猫に話しかけるシーンを挿絵にしたかったが、主人公の少年と恋人の青年がいるシーンのイラストが採用されたと作者に説明すると、猫の魅力について小説家がそれまでの警戒が嘘のように笑顔で話し始めたのを、島田理沙子は見た。
銀座の「パンドラ」で緒川翠がいろいろな作家と対談する対談集は、挿絵の仕事で関係ができた作家たちのフェチズム、何にエロを感じて触発されるかをちらりとのぞかせてくれる。
その対談集は、いかに作家たちが編集者に抑圧されているかの不満が暴露されているという意味でマンガ家志望や小説家志望の学生たちに考えさせる効果があった。
いかに自分の性癖を商品化して市場に押し出せばいいのか。
ギリギリまで創作に打ち込むと、うっかり自分が世界で何を愛しているかまで暴露してしまうことがあるという、いわば事故を対談した緒川翠や作家たちは苦笑しつつ語っているのだが、マンガ家志望や小説家志望の学生たちは、自分たちの興味があること、心をゆさぶることを表現できるのが創作だと思い込んでいる。
そこは島田理沙子も同じだったので、対談に立ち会い、創作の秘密を聞かせてもらっているような気持ちになっていた。
編集者はヒット作を狙うつもりで企画するが、思いがけないホームランが出ると担当編集者は唖然となる。やばい、次も期待されても困るぞと思う。
そして、二番煎じでもいいから、うちも利益を出したいと似た企画を立てる別の出版社の編集者は必ずいる。
ハウツー本ブームや新書ブーム、電子書籍化はこうした流れで起きた。
こうした出来事があって、受賞したばかりの官能小説家を出版社の社長は「パンドラ」に連れて来た。作品以外でも作家の個性が売れたら大きな利益になる。
島田理沙子と緒川翠をつないでいる人物が、彼女たちの愛人の檜垣隆史だと、出版社の社長は気づいていない。
とりあえず、官能小説を出版する以外も作家を、誰かと対談させて対談本を売って稼がせたい。出版社の社長にはそういう考えもあり、人脈をつなぐために、デビューさせた新人作家を島田理沙子に会わせておくことにしたのである。

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