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媚薬の罠
官能リレー小説 - レイプ

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媚薬の罠 886

「ミロのヴィーナス」は戦乱の軍神アレスの盾が、ペルセウスがメドゥーサ退治に使った鏡のような盾つまり女性の塑像はアフロディーテではなく、アテナ像だったのではないかと考察している学者もいる。「ミロのヴィーナス」に両腕が無いことによって、女神像としてのヴァリエーションを想像することができる魅力があるようだ。ただし、女性の塑像は崇拝のための女神像であるという前提の上で想像される。それは想像することではなく、同じ役割の道具のすり替えでしかない。
無数の名の無い記号化したヒロインたちの破片が「ミロのヴィーナス」のように組み立てられたとしても、役割のための存在という思い込みに従属している限り道具であり、両手と両腕、または、本来あるべきものは失われたままだろう。
「ミロのヴィーナス」の女性の塑像に、女神像としての両腕と両手を復元させること。それが女神像という礼拝の道具の役割に戻されることで、女性の塑像は他の礼拝の偶像または鑑賞用のオブジェとして、他の女神像との比較にさらされることになる。「ミロのヴィーナス」ではなく、没個性の偶像または鑑賞用のオブジェ1、2、3……という記号のなかのひとつとなる。
両腕、両手が失われている「ミロのヴィーナス」が偶像や鑑賞用のオブジェではなく世界にひとつだけの芸術品であるのは、過剰に想像を呼び覚ます力があり、役割から逸脱しているからである。
両腕、両手のないこの女性の塑像を見るとき、自分が腕や手をどうやって使っているのか、そして他人の腕や手がどのようにかかわりを持っているのかを思い浮かべてしまう。それは仏像や他の女神像では感じられない過剰な差異として想像させてしまう。
人は欠落しているものを、想像力で補うことで世界を認識している。とりわけ、この「ミロのヴィーナス」は自分の腕と手や他人の腕や手が世界とどのようにかかわっているのかを気にさせる過剰さがある。
フェチとは体の一部や物品などの記号に興奮、執着、崇拝を見せるフェティシズム(fetishism)の略語だが、世間一般では単なる性的嗜好程度に捉えられている事が多い。フェチの対象となる記号はフェティッシュという。
ルーヴル美術館に展示された「ミロのヴィーナス」はフェティッシュを呼び覚ます意味で美術品である。
檜垣隆史は「ミロのヴィーナス」の欠落部分ではなく顔、おっぱい、腰まわり、おしりに着目してちぐはぐさを笑う。
見えない部分を記号として想像で補うのではなく、見えるもの、ふれられるものを優先する。即物的だが、塑像という物と現実の女性の部分を思い浮かべて比較しているのは物と肉体をへだてることを忘れているので倒錯的な比較である。

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