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媚薬の罠
官能リレー小説 - レイプ

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媚薬の罠 874

歴史絵、美人絵、役者絵、物語絵など、幅広い題材の浮世絵を描いたことで知られる月岡芳年(つきおかよしとし)。
しかし衝撃的な無惨絵の描き手としても知られており「血まみれ芳年」とも呼ばれた。芳年は「最後の浮世絵師」との呼び名を持つ。
これは芳年が活動した期間は江戸から明治へと移り変わる時期で、西洋絵画と写真によって浮世絵の需要が失われつつあった時期に浮世絵というジャンルで人気が出た最後の人という意味でもあるが、浮世絵によって想像された現実があらわれる倒錯性を警戒された最後の人という意味でもある。
若い頃から異才っぷりを発揮していた芳年の円熟の作「奥州安達がはらひとつ家の図」は政府から「風紀を乱す」という理由で発禁処分を受けている。
この浮世絵は奥州安達ケ原の人食い鬼の物語をモチーフにして描かれている。安達ヶ原の能や歌舞伎に取り上げられたほか、さまざまな形で語り継がれている。それを芳年が視覚化した。
真っ赤な腰布を巻いた若い妊婦が逆さ吊りにされている。上下の二枚の縦長で、下には妊婦を包丁を研いでいる諸肌脱ぎの老婆が、険しい表情で臨月の妊婦を見上げている。
このふたりの奥の窓の外には、闇夜に夕顔の花が木の枝に咲いている。
安達ヶ原の人食い鬼の伝説の内容は有名で、内容が風紀を乱すのであれば能や歌舞伎も禁じられるはずだが、それらは禁じられていない。
だから、芳年のこの浮世絵が、陰惨な事件を内容にしているから発禁になったというわけではない。
視覚化されること。それが昔話を伝える言葉の流れなら立ち止まらないはずの一瞬が、芳年に選ばれた一瞬だけが切り離されて取り出さされることで、浮世絵を見た人には、生々しくリアルに感じる作品ということなのだろう。
「血みどろ芳年」の異名がつくことになった若い28歳の頃の代表作に、兄弟子の落合芳幾(よしいく)と14図ずつ競作した「英名二十八衆句(えいめいにじゅうはっしゅうく)」がある。
1866年(慶応2年)に、ふたりの師である国芳の作品が下敷きにして描かれたといわれている。しかし、芳年の作品は、女性をつるし斬りにしたり、顔面の皮を剥ぎ取ったりと、師や兄弟子の描写よりも容赦なく凄惨。幕末には物騒な血なまぐさい事件があり、芳年は浮世絵師として注文があればそうした雰囲気を持つ作品も手がけた。需要に応じて描いていた。また絵具として、西洋の色鮮やかな絵の具が入ってくることで、版元から新しい画材を使ってみて欲しいという要望もあり、鮮烈な赤色を使った。
「血みどろ絵」とは血が飛散する残虐な殺戮、あるいはそうした事件が起きたことを暗示させる血まみれの遺体を描いた作品を指す。天下太平の世が長く続いた江戸時代、大衆の娯楽であった浮世絵版画の題材に、血なまぐさい描写はほぼ取り上げられていなかった。しかし、幕末には浮世絵に、過激で扇情的な題材がたびたび取り上げられるようになる。
浮世絵版画は量産された商品であり、浮世絵師は職業画家だということ。浮世絵師はおおむね依頼を受けて絵を描き、激しい販売競争の中を生き残るために腕を磨いた。
「血みどろ絵」もまた、芳年自身だけの嗜好性から生まれたものではなく、一定の需要があり、市場から見込まれたからこそ制作された作品である。芳年の作品はたしかに「血みどろ絵」が有名だが、他にもさまざまな題材の作品がある。

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