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媚薬の罠
官能リレー小説 - レイプ

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媚薬の罠 873

非社会的存在として、差異になること。
この絵画に描かれた逸話は、社会のシステムがどうやって異端者を取り込み、また排斥しようとするかを示している。
そのどちらでもない自由な存在であり続けることが、どれだけ難しいことかを教えてくれる。

エロマンガ家のメイプルシロップこと緒川翠は、定番の設定で定番のストーリーやセリフまで何も考えずに作品として描くことができる。
たくさんのエロマンガを緒川翠は読んでいて、コマ割りから、背景や擬音まで記憶している。
だが、そんなときはよく考える。
これは、私がわざわざ描く必要があるのかと。記憶によって描かされてしまってないか、警戒してみるのを忘れない。
それと同時に、登場人物が生きている世界を想像してみる。登場人物がいきいきと感じられたら彼女はじっくりと描くことにしている。

「模倣するためだけに描くなら、コピー機のほうが優秀。そのまま一瞬で複写してくれるもの」

江戸時代の中期に、浮世絵師の鈴木春信は、自分の浮世絵を錦絵と名づけた。
版木に、目安というしるしをつけることで、多色刷りの浮世絵である錦絵の技術を作り出した。
それまでの浮世絵は刷ったあと、色をつけたければ筆で塗り加えていた。単色刷りの挿し絵から始まって、春信の錦絵の出現までは、技術的にまだまだ刷れる色数が少なかった。
さらに浮世絵のモデルは、それまでは花魁の太夫や歌舞伎役者などのものが人気だったのだが、春信はだんごを食べる茶屋の娘やつまようじ屋の娘をモデルにした浮世絵を出した。これが人気が出たので、そのあとの浮世絵師はモデルの幅が広がった。
人気が出た理由はふたつある。
まず春信の錦絵の構図や構成は京都で師事した西川祐信を参考にしていたが、人物の画風は、中国の明朝の時代に活躍した版画家の仇英(きゅうえい)の画風などに影響を受けていた。色っぽいというよりは、どちらかというと可愛らしく、まろやかな雰囲気の繊細で優しげな印象の画風で、少年や少女にちょうどぴったりだった。
花魁の太夫や歌舞伎役者は、いくら憧れて浮世絵をながめても、なかなか近づくことも、言葉を交わすこともできない。だが春信のモデルにした身近な少女たちなら、会いにも行ける。だんごやつまようじを買えばちゃんと感謝の言葉を聞けて、微笑んでくれる。
これがもうひとつの人気の理由だった。モデルが身近になったことで、浮世絵の虚構がリアルに感じられたのである。
物語本の挿し絵から、手の届かない憧れのモデルへ。そこから身近な少女を春信がモデルにしたことで、倒錯的なリアルが浮世絵に持ち込まれたのである。
それまでは虚構の「憂き世」が描かれるものという役割が「浮世」つまり現実を伝える情報の役割にすり替えられた。
モデルの少女の現実に、春信の浮世絵の繊細な画風の虚構のイメージが重ねられて、あたかも美少女が目の前にいるような雰囲気が作られる。
緒川翠が「日本人はみんなロリコン」と檜垣隆史に言うのは、何かにイメージを重ねて妄想するのが文化のパターンとしてあって、それは彼女のエロマンガの絵から現実の世界を妄想するという倒錯的な認識を生み出し、それは同時にリアリティーと呼ばれるからである。
春信が錦絵のモデルに少女を選んだことで、それがわかりやすくあらわれた。

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