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媚薬の罠
官能リレー小説 - レイプ

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媚薬の罠 856

未来とは、過去と現在に微細な差異をふくみながら反復された結果としてあらわれてくる。
まず差異があると気づくには、類似や同一性の部分があると感じる必要がある。そこでやっと差異を感じる部分を見つけることができる。反復されている部分しかないと感じて、差異に気づかないときに何が起きるのか。
個性や自己同一性、自分が世界に唯一無二の存在であることの自信が失われてしまう。これは危ういことである。
同じだと感じることは、対人関係では、親近感を感じさせるきっかけとなりがちである。
同じものを見たり、同じ瞬間に立ち会っているとき、同じ感想や同じ考えだと感じる相手だと思い込むと、極端にいえばもう一人の自分の分身だと感じる。
協調性というつながりは、自分の分身を自分のように愛するということである。自己愛の延長線にあるコミュニケーションといえる。
セックスは気持ちいい。
どこがどんなふうに気持ちいいのかという差異を忘れてしまえば、共通の認識として、シンプルだからこそ強い親近感を感じる行為といえる。
しかし、自分と他人という差異は、誰もが世界に唯一無二のかけがえのない存在であるために必ずある。
自己愛の延長線としての親近感や愛情だけでは差異を感じさせるような出来事に気づき、目の前に唯一無二の他人あらわれたとき、不信感や不快な思いを感じてしまったり、自分に危害を加えないか怯えて敵対したり、なぜ気持ちが通じ合わないのかさみしさや不安を感じることにつながる。
自分と他人の差異を認識し、差異を認め合うことができるかどうか。自分と同じだから好きということは、自分と違いがあるから好きと自分と他人の存在を尊重して認めあうよりも、安易で危うさのあるコミュニケーションのプロセスである。
自己愛から脱け出すこと。
まず自己愛が揺らぎ、自分も愛せていない場合は他人への親近感を感じにくい。そうなると、自分と他人の関係の必要性や根拠を、自己愛の親近感ではないことに求めることになる。自分が愛して関係を望んでいる以外の理由、他の理由からやむを得ず関係を持ち続けることを強いられるのが服従や隷属の始まりとなる。
日本神話では、黄泉でイザナギをイザナミが捕らえようとする。それは、イザナギとイザナミの差異を露骨にあらわれること、誓いや約束が破られたことや、生者と死者の肉体の違いとしてあらわれたあと、イザナギは耐えがたい衝動にかられて逃げる。誓いや約束を破った者は罰するという制度やルールに従い、愛しているかどうかは関係ない理由で、イザナミは追いかけて、イザナギを捕らえようとする。

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