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媚薬の罠
官能リレー小説 - レイプ

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媚薬の罠 798

允恭天皇をはじめ周囲に兄妹の恋愛は発覚した。
群臣は木梨軽皇子から離れる者、弟である穴穂皇子(あなほのみこ)を次の天皇にと考える者もあらわれた。木梨軽皇子は腹心たちと共謀し穴穂皇子を討とうとするが、逆に追いつめられ木梨軽皇子は捕えられてしまう。その後、木梨軽皇子は四国へ流罪とされることになった。
木梨軽皇子は「私は必ず戻ってくるから待っていなさい」と軽大娘皇女に言い残し、愛しい軽大娘皇女に累が及ばないように願いながら、流刑地の伊予へと流された。
しばらくは兄を待ち続けていた軽大娘皇女だったが、やがてこのような歌を詠んだ。

君が行き 気長(けなが)くなりぬ やまたづの
迎えは行かむ 待つには待たじ

(あなたが行ってしまってもうずいぶんになりました。もう待ってはいられません。帰ってこられないならば私が参ります)

かくして、軽大娘皇女は伊予・松山へとやって来て、姫原というところに隠れ住んだ。
ふたりの再会は、劇的なものであった。ふたりが逢う事が宮廷の決定に逆らうことになるので、人目を避けての逢瀬である。
軽大娘皇女への追求の手は厳しく、恋人同士の兄妹はお互いに刃物で刺しあって果てたという。姫原には、ふたりを祀る軽之神社があり、近くには、道ならぬ恋をいとおしむように、兄妹の墓である比翼塚が、ひっそりと今も建てられている。
実際は、本来であれば皇位継承権を持っていた木梨軽皇子が権力争いの末に穴穂皇子に敗れ、皇位継承から排除された事件を語ったものと考えられる。
「日本書記」の記述では、軽皇子と軽皇女の相姦が発覚し、皇太子を処刑することはできなかったので、軽皇女を伊予に追放したとある。
「古事記」においては、軽皇子が伊予に流刑となったとの記述がある。
血のつながった母親が同じ兄と妹の愛しあう内容のエロマンガに、とても興味をもっている男性がいる。インターネットで配信された同人誌を、深夜、一人暮らしの1LDKの部屋で、ふとんの中に潜り込み、興奮してスマートフォンの小さな画面を見つめて、息を荒くしながら下着をずり下ろし、勃起したぺニスを扱いている。彼女なし、独身、一人暮らしの来年30歳の男性は、エロマンガを読みながら妄想をふくらませて自慰に耽っていた。
大学生の兄の一人暮らしの部屋に女子高校生の妹が様子を見に来て、洗濯してベランダに干したり、焼きそばなどを作って一緒に食べたりする。夜には妹は実家に帰る。

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