PiPi's World 投稿小説

媚薬の罠
官能リレー小説 - レイプ

の最初へ
 789
 791
の最後へ

媚薬の罠 791

なせアマテラスとスサノオが、イザナギとイザナミの物語を再演するのか。
イザナギとイザナミの物語では千引岩で閉ざされることで、大母神イザナミの喪失がゆるがないものとなった。
イザナミはイザナギを、暗さへとどめるために引きこもうとする。停滞させる力と、イザナギが黄泉から脱出しようとする暗さから明るさへ変化しようとする力のせめぎあい。
黄泉比良坂が大岩でさえぎられて力の均衡、もっともどちらの力が強く緊張した止揚の瞬間があらわれる。昼間と夜間のあいだの、朝焼けや夕暮れのわずかな空白のような均衡。
アマテラスの天岩戸の引きこもりの逸話では、暗さから明るさへの変化の力と、娘のアマテラスが母のイザナミを演じることから脱却する瞬間が語られる。
アマテラスが引きこもるまでは、母イザナミを演じる娘アマテラス。
天岩戸から顔をのぞかせ外の変化を気にして顔をのぞかせ、望まれて引き出されることで、アマテラスは産まれ直すことで母の行動を演じる呪縛から解放される娘の物語でもあるだろう。
それは大母神イザナミの喪失の心の傷から癒されていく過程でもある。
だから、天岩戸ではスサノオについては語られずに、アマテラスに関わる八百万の神たちについて語られるのである。
スサノオが大母神イザナミの喪失の悲しみから解放されるために、追放され地上へ下ることになる。ここまでは、イザナギを演じている。しかし、その後はイザナギの逃げる動作をスサノオは再現するのではなく、ヤマタノオロチと対峙することになる。さらに、救出したクシナダヒメと結婚する。兄と妹が伴侶となるような近親婚から脱却は、父親のイザナギを演じる息子ということの脱却と同時に、喪失の悲しみの母恋が妻恋に変わっていく成長の過程でもあるだろう。
アマテラスとスサノオの脱却と成長の物語が、喪失の悲しみによってイザナギとイザナミの模倣が行われ、差異の発見によって、呪縛のような繰り返しから逃れて、他のものとのつながりや、差異によって生きる力をつかみながら変化していくことについて語られているともいえる。
日本神話でヒルコやツクヨミについて直接の逸話が少ないのは、模倣し、演じるように、何度も繰り返し姿や名を変えながら、語られ続けているからと考えることもできる。
スサノオが海原から高天原へ訪れた時、弓を手にアマテラスがスサノオに対峙したというのは、実はアマテラスではなくツクヨミだったのではないだろうか。ツクヨミの別称に月弓尊という名もあり、また山の狩猟の神の顔もある。姉のアマテラスを守るために弟のスサノオに対峙した可能性はある。
敵対していた直後に、戦うわけではなく神産みの誓約(うけい)を始めることも、唐突な展開すぎる。
しかし、人の心のなかには、状況に応じて、時には敵対する気高さかあり、また温厚な気持ちで話し合い誓約(うけい)を受け入れる心もあるということを教えてくれる。
アマテラスとスサノオは天の安河を挟んで誓約を行う。
神産みの誓約(うけい)の時、アマテラスはスサノオの腰に帯びていた剣を3つに折り、噛み砕き、ふぅっと霧のように吐き出すと3柱の女神が生まれた。
次に、スサノオが、アマテラスから「八尺の勾玉の五百箇のみすまるの珠」を受け取って噛み砕き、吹き出した息の霧からは五柱の男神が生まれた。
これはスサノオに心の潔白を証明するための占いの儀式だったという説がある。
古事記ではアマテラスは、後に生まれた男神は自分の物から生まれたから自分の子として引き取り、先に生まれた女神はスサノオの物から生まれたから彼の子だと宣言した。
スサノオは自分の心が潔白だから私の物から生まれた子は優しい女神がだったと言い、アマテラスはこれを認めて、スサノオに高天原の滞在を許した。
まぐわいという言葉が男性と女性の性交と同時に、目を見つめて愛情を通わせること、めくばせの意味がある。
天の安河を挟んでアマテラスとスサノオが向かい合うのは、目を合わせる行為であり、イザナギとイザナミのまぐわいの模倣の反復となる。
スサノオの潔白を証明するためだけならば、スサノオだけが占うために儀式を行えばいい。なぜかアマテラスのほうから先に同じように儀式を行っている。
誓約のやりかたをスサノオが知らなかったから教えるために、アマテラスが先にやってみせたとも考えられる。
もし、この誓約が、イザナギとイザナミのまぐわいの模倣としての反復であったとしたら、イザナミが先に声をかけ、イザナギが答えたとする、ヒルコが生まれたまぐわいと同じ女性から男性へのアプローチの行為となる。

SNSでこの小説を紹介

レイプの他のリレー小説

こちらから小説を探す