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媚薬の罠
官能リレー小説 - レイプ

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媚薬の罠 790

雑炊を売る屋台から商売を初めた老婦人の夫や現在の店主の親友で定食屋を継いだ息子は癌で亡くなっている。
それでも、食事で人の生きる気力を支えてきた定食屋は、生きる気力をもらった現在の店主が継いで存続した。
そしてパティシエの若妻のおいしいプリンは、子供たちに一緒に食べた親の愛情の思い出として、自分の子供を愛する気持ちをそっと育む。
優しい思い出が失われていれば、天満教の信者の両親から〈天使の涙〉を投与され続けた高坂貞人のように、人間不信の種が心を蝕んでいく。
定食屋のパティシエの若妻を襲う凶事が回避されたが、原田亮の恋人の山本直樹が癌で亡くなっている。
原田亮は、娘の珠理の父親への強い愛情と、珠理の母親を喪失感の悲しみが表裏一体になっていることを理解する。
母親がいない分だけ、父親に甘え、また娘の自分がそばにいなければという思いも強く抱かせてしまった。

「珠理、パパはもう大丈夫だよ」
「うん、おやすみなさい」

ベッドで原田亮に抱きついて、珠理は幼い頃のように眠った。母親が出て行ってから、寂れた神社で射精して泣く貴哉を珠理があやすように抱きしめる日まで、珠理は父親のベッドで一緒に父親と寝ていた。珠理はドラッグを使われて欲情に溺れる近親相姦ではなく、父親の体温のぬくもりと息づかいに優しさに包まれている感じがして、とてもなつかしく安心した幸せな気持ちになった。
珠理の心にある母親の喪失感による心の傷が癒えるまで、まだしばらく時間がかかるだろう。


日本神話の神スサノオは大母神イザナミを慕う。海原から離れ根の国、イザナミのいる黄泉を目指す前に、高天原の姉であるアマテラスに挨拶へ立ち寄る。アマテラスはスサノオが攻め込んで来たと思い弓を手に待ち構える逸話が古事記に記されている。戦ではなくアマテラスとスサノオの誓約(うけい)で、神生みが行われることになる。
なぜアマテラスのところへスサノオが立ち寄ったのか。アマテラスとスサノオ。女神と男神というコインの表裏のような関係性を、スサノオの逸話を通じて伝えている可能性はある。
スサノオは喪失した大母神イザナミを慕い、イザナギのように黄泉比良坂へ向かう逸話が続くなら、イザナギの逸話をスサノオが繰り返すという父親と息子のわかりやすい類似と、イザナミからすれば夫と子という差異の物語となる。
のちにスサノオが高天原から追放されることや、ヤマタノオロチと遭遇する逸話が黄泉へ行くイザナギの逸話の反復とするなら、イザナギが黄泉へ行く前の逸話であるイザナギとイザナミの神生みの逸話からやり直さなければならない。
アマテラスとスサノオが性別の対比や単純にコインの表裏という差異だけで考えるなら、どちらも喪失の悲しみにより、残された息子のスサノオは大母神イザナミを慕い、残された娘のアマテラスは父神イザナギを慕うということになる。
しかし、イザナギとイザナミの物語をやり直して修正していくものだったとすれば、イザナギの役目をスサノオ、イザナミの役目をアマテラスが演劇の役者のように演じることになる。
だから、弟神スサノオはまっすぐ黄泉へ通じる黄泉比良坂へ向かわずに、姉神アマテラスのもとへ向かう。
アマテラスとスサノオの誓約(うけい)の逸話は、イザナギとイザナギの国生みと神生みの再演となる。兄神イザナギと妹神イザナギの夫婦神の物語は、姉神アマテラスと弟神スサノオにより、兄と妹のから、姉と弟の差異をふくみつつ、まぐわいから誓約(うけい)の変化はあるが、神生みが行われる。
機織りの道具が陰部に刺さり、亡くなっている機織女の死は、イザナミの死の代わりとしての死である。
それを見たアマテラスは、天岩戸を閉ざして引きこもる。それはイザナミが死んで黄泉へ去ることを再演となる。
兄と妹のイザナギとイザナミの逸話では明るいところから暗いところへイザナギか向かう。明から暗への変化。姉と弟のアマテラスとスサノオの逸話では、姉のアマテラスが天岩戸の内側へこもることで、世界が闇に閉ざされる。やはり、明から暗の変化が再演される。

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