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媚薬の罠
官能リレー小説 - レイプ

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媚薬の罠 576

「……あの、隆史さん、えっちなやつは、そんなにちゃんと考えながら見る人って少ないと思うんだけど」
「そうなのか?」
「オナニーしてる時子さんとか、縛られてるニューハーフの店長さんとかを見てえっちな想像するだけじゃないかな」
「遥もそうなのか?」
「わ、私は、隆史さんがそういう趣味かなって思ってちょっと見てみただけですっ!」
遥がそう言って、バスロープの上から隆史のお腹の肉をつまんで、ぎゅっとつねった。
「痛っ、わかったから、つねらないで」
「ふふっ、わかればよろしい」
隆史は遥がSMに興味を持ったのは偶然ではないと気づいていた。
SMはSadism(サディズム)とMasochism(マゾヒズム)の両方の頭文字から性癖を示す言葉として使われる。また、一部英語圏ではSlave&Master(スレイブ=奴隷とマスター=主人)の関係性を示す言葉としても使われる。
普通のセックスがうまくできない、普通のセックスしても満足できないという性癖がある人たちがする行為と考えられがちだが、加虐(サディズム)と被虐(マソヒスム)という性癖を満たすことができる性行為を認め合えるパートナーを必要とする。
信頼できる他人との関係を求めるという点では普通のセックスと同じである。
そうでなければ、ただのハラスメントや我慢くらべになってしまう。
性癖よりも関係性のSMは、人類の持つ欲求と関係している。
人間は本能として危険か安全かを判断してきたが、群れを形成するようになると、群れの指導者=リーダーと、リーダーに協力をする支援者=フォロワーという関係性を認識することで、群れから除外されない安全を確認したり、除外されないようにアピールしたい欲求に進化していった。
人類の最大の死因が人間関係によって群れから排斥されることによって本能は進化した。
奴隷と主人、フォロワーとリーダー。
生命の安全を確認したいの脳からの欲求に、SかMか相手との関係を認識したいということは対応しているのである。
デート嬢をしていた時の山科遥の関係性は、デート嬢の山科遥がリーダーで、お金を払って遥の許す許容範囲の行為で楽しませてもらう客の男性たちはフォロワーとわかりやすい関係性だった。
山科遥が恋愛関係になるとリーダーとフォロワーという関係ではない、信頼関係の強い対等な関係のバランスを望んだ。
しかし、人間の悲しい性、本能の命令で相手が遥をフォロワーと判断すると、対等の関係性は維持できなくなった。
隆史との恋愛関係で、信頼関係の証としてのセックスが、隆史の特殊な精液のために行われなかった。
不安になった遥に、隆史がコスプレをしておたがいの性器を手で愛撫しあうという、セックスではない代わりの信頼関係の証を提案した。
セックスの代わりになる信頼関係のあるパートナーとする性行為。その点では、SMプレイと同じである。

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