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媚薬の罠
官能リレー小説 - レイプ

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媚薬の罠 1068

三男の豊たちになると、インターネット上で非難中傷が行われ、教室で発言したりはしないので、教師や親たちは仲間はずれにするいじめに気づかない。
そして、ネット上でもお互い干渉し合うことで目立つのはめんどくさいと、冷やかし程度で自分が仲間はずれにされていないことを確認するだけだった。
恋愛関係はクラスの中でも特別な立場の数人だけのもので、セックスに執着しない雰囲気がすっかりできあがっていた。長男の哲のように、高校生にもなって童貞なのは恥ずかしいという考えや雰囲気は、三男の豊たちにはない。
疎外感を感じる子供たちは、学校へ行かない。学校では、誰かを仲間はずれにするのが当たり前になっている。
修の学年は長男の哲と三男の豊のあいだの、どっちつかずの雰囲気があった。修にクラスの全員の前で、仲間はずれを注意された女子は、この一件から修のことを意識するようになった。
修や豊にも性欲がないわけではないが、哲のように、セックスできる相手を自分から探し求める気分はなかった。
過去に肉欲が目立たなくなった時代がいくつかあった。生きるか死ぬかという危機的な状況や、大義名分が常識となった時代にも、そんな肉欲が隠蔽される雰囲気になったことがある。
国の存亡は自分たちの努力や我慢しなければ守れないと思っていた美学が挫折した直後は、ひどい食糧不足があったが、なんのために生きるか、我慢してきたことの意味は何だったのか、わからなかくなった人たちが途方に暮れた時期でもあった。
終戦直後は軍国主義が破綻して、アメリカ軍に駐留され占領下に置かれた。その時に肉欲を隠蔽していたことから解放されたと同時に、生きる目的がわからない迷走している状況にあった4人の男性たち、巽、哲、修、豊は裕子とセックスしているときだけ、何も考えずに悩むことはなかった。
悩んだり考えていても、考えていなくても、事実や現実は何も変わらない。
時代が移り変わって、竹田家の父親の巽は、収入もあり生活に困窮することもないのたが、何のために生きているのかと考えてしまうと、成り行きまかせで途方に暮れるしかない。3人の息子たちも、その何もない、わからない不安を忘れさせてくれるものを見つけて、でだましだましで生きている。
人は生きている意味を後づけでこじつけることができる場合もあるが、生まれてきて死んでいくことには意味はない。
死にたくないから生きている。そして、死について考えることを避けている。
檜垣隆史は死ぬかもしれないと何度も感じていて、死を身近に感じている。だからこそ、死を忘れさせてくれるセックスという行為に、心奪われているところがある。

修に注意を受けた女子高生の家庭では何が起きていたか。
巽から哲までの年代までは、女性にモテることが自分の価値のように思われている雰囲気があった。
それは終戦直後の占領下とされた混乱期に、生活力がある者はセックスを思いっきりできて、女性たちは男性を生活力がある者かで判断すること、それは同時に女性が男性からセックスの対象の商品としても見られるきっかけにもなっていくことになった影響があったからである。

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