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堕落と悦楽
官能リレー小説 - ファンタジー系

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堕落と悦楽 1

どんなきれいごとをならべても、女という事実からは逃れられないと思い知られて、服従を誓い、淫らに快楽に溺れていく。
恋愛したいとまじめに思ってきたが、そんなものは服従の言い訳としてあとからついてくるものだとよくわかった。
牝の快楽を求める性欲の本能は凄まじい。食欲や睡眠欲なとを超越している本能で、底無しである。
かつて精神分析の父と呼ばれるフロイトが性欲が全ての欲望の根源であることを発見したが、性欲をコントロールする方法まではわからなかった。
フロイトは人が欲求不満になることで、他の行動で欲求を満たそうとするときに、何をしたのか、何が起きたのかと推測していた。何でもフロイトは性欲に結びつけると当時の他の学者たちからは敬遠された。
しかし、性欲を発散する方法は、それぞれちがう。それが何かはそれぞれの生活や成長の過程で、習慣として身につけているだけなのだというところまで考えぬいた。
欲求不満が解消されている状態だと思っているのは、ただの思い込みで、性欲は解消されることはない。
男性と女性のどちらが性欲が強いか、性欲が人の感情や精神状態に密接に結びついているのか。
それは現在の精神分析の専門家たちにも謎のままで、そういうものだという認識しかない。
性欲を睡眠などでごまかすか、催眠やカウンセリングの対話による誘導で、性欲と何か具体的な行動や過去の出来事が結びついていると思い込ませて心配ないと安心させる。
性欲とは何かという謎は脳医学の研究者に丸投げして、目の前の悩める患者への応急処置に専念している。
脳が人の肉体や思考から感情をつかさどる器官であること。
性欲が生殖して繁殖することだけのものなら、精神分析というものはなかったはずである。
宗教で懺悔という習慣があった。これはカウンセリングと同じ性欲に対する自衛手段であった。
宗教、精神分析、脳医学。
これらは性欲に対する自衛手段でもあった。
性欲を発散させて処理する方法として、一般の人たちは自慰やセックスを思い浮かべるかもしれない。
そういう習慣に慣れ親しんでいるだけにすぎない。
別の習慣としてSMプレイなどで快感を得る人たちもいる。
つまり、何に快感を感じ、性欲が満たされたと認識するかということ。
性欲が満たされたと認識すると、本当は満たされることのないものなので、依存する傾向がある。
人は依存する。
それは保護されていなければ生きられない乳幼児の頃の名残り、生存したいという強い意識とつながっているからだと精神分析では推測しているが、そのまま続ければ死に至る行動だとしても依存するのだから説明としては矛盾している。
快楽というものは幸福を感じる一瞬であり、それはすぐに失われてしまう。
失われてしまうと再び快楽を得ようとする。
幸福感の獲得、喪失、再獲得。
それを繰り返すことが依存という行動である。
精神分析では依存の行動が生活に支障をきたしていると判断される場合のみ、治療を行う。
膣内や体内、これは口からの摂取も含めて、ある特定の人物の精液を与えられたときに快感を最大に得ると女性にすりこみとして習慣化させれば、どうなるのか。
まず自分が何を求めているのか気づいていないため、不安を感じたり、強い嫌悪感を持つことがある。
しかし、それが快感だと知ってしまえば、依存してしまう。
自慰や他の人とのセックスでは、満たされない。

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