メロン・ワールド 85
「首に深刻な怪我を負ってしまいました。さらにその前には肩も脱臼していまして……それで今まで奥屋敷で治療を受けていたんです。決してメイリーンさんが思うような、ふしだらなことはありません」
我ながら、うまく誤魔化せたと貝丞は思った。治療を受けていたこと自体は事実だから、その辺りの状況を少々詳しく聞かれたとしてもボロが出ることはないだろう。
だが、メイリーンは船底のフジツボのようにしぶとかった。貝丞の説明に納得せず、さらに質問をぶつけて来る。
「えー、でも、ミュラ様って闘技場で今までに何十人も男をぶっ飛ばしてるけど、いつもほったらかしで、奥屋敷に運んで治療したことなんか一度もないわよ。やっぱり貝丞君には特別な何かがあるんじゃないかしら……?」
「ぐっ……」
かくなる上は無制限一本勝負である。どちらかが音を上げて敗退するまでこの闘いは終わらない。貝丞は覚悟を決め、椅子に腰を落ち着け直した。
「メイリーンさん。1つ、お伺いしてもよろしいでしょうか?」
「ええ。いいわよ」
「……ミュラ様は、これまで何十人も倒して来られたということですが……その中に亡くなられた方は……?」
「それはいないわ。ミュラ様は弱い相手にはちゃんと手加減するから。というかミュラ様が本気出した相手って、私の知ってる限り貝丞君だけよ」
「やっぱり、亡くなった方はいないんですね……」
貝丞は、いかにも納得が行きましたという表情で頷いて見せた。
「どういうこと?」
「いえ、俺、ガチで死にかけてたんです。初めて死人が出そうになったから、ミュラ様もまずいと思って奥屋敷に運んだのではないかと……」
またしても、適当に説明を付ける貝丞。仮にミュラが人を殺めたことがあったらあったで、別の言い方を考えていたのは言うまでもない。
だが、今度もメイリーンには通じなかった。
「ミュラ様、貝丞君を抱えていくとき、『気絶してるだけだからそのうち起きるよ』って言ってたけど……?」
「ぐぬぬ……」
貝丞は焦った。自分が失神していたときのことを後出しで次々持ち出されると、さすがに対処のしようがない。不本意ではあるが、ここは一度戦略的撤退をして、ラグーナに相談するべきだろうか。
「…………」
貝丞が黙ってしまったのを見ると、メイリーンは立ち上がって彼の側に回り込んで来た。そして顔を近づけ、優しくささやいて来る。
「ねえ、貝丞君。意地張らないで全部話してくれないかしら? 悪いようにはしないから……」
先輩が後輩に話すというより、姉が弟を教え諭すような物言いだった。そしてメイリーンの瞳を直視した貝丞は、吸い込まれるような感覚に陥る。
「あっ……」
何だろう、この感覚は。次第に頭の中がぼやけてくる。そして今まで持っていた警戒心が薄れて来るのを貝丞は感じた。果たして、本当に隠し立てする必要があるのか。メイリーンを信用して、一切合切打ち明けてしまっても良いのではないか。
「俺は……」
口を開きかけたとき、貝丞ははっと我に返った。駄目だ。メイリーンが本当に信用できるかも分からないのに、ラグーナやミュラ達との秘密を漏らすわけには行かない。
ガッ!
貝丞は自分の頬を拳で殴った。痛みで意識が回復する。どうやら魔法か催眠術のようなもので意識を操られそうになっていたらしい。
「なっ……!?」
驚愕の表情を浮かべるメイリーン。さらに貝丞は、血の混じった唾液を床にプッと吐いて見せた。少々汚いが、後で掃除するということで勘弁してもらおう。
「……何と言われましても、存じ上げないものは存じ上げません」
言い切って、メイリーンの顔を見上げる。もう意識が霞むことはなかった。
――よし。いい流れだ……
術を破られ、メイリーンは動揺している。今なら引き止められずに部屋を出て行けるだろう。
「では、俺はこれで……」
そう言って貝丞が腰を浮かせかけたとき、突然ドアを勢い良く蹴って開けた者がいた。
バァン!
「「!?」」
開いたドアから入って来たのはラグーナだった。何故ここが分かったのだろうか。それはともかく、貝丞は慌てて椅子から立ち上がると、表向きの関係の通りに跪く。
「こ、これは伯爵……」
だが、ドアを閉めたラグーナは思いもかけないことを口にした。
「メイリーン、御主人様に何をしているの!?」
「え!?」
今度は貝丞が驚愕した。今までラグーナのために必死に守ろうとしてきた秘密を、本人があっさりばらしたからだ。
「な、何で……?」
「!!」
思わず顔を上げる貝丞。それを見たラグーナが血相を変えた。
――あ、しまった!
貝丞は自分の失策に気付いた。口元に血が付いたままなのを見られてしまったのだ。慌てて指でぬぐったが、もう遅い。ラグーナは物凄い勢いで詰め寄って来た。
「ま、待って。これは違……」
「黙って! 見せてください!」
「っ……」
語気強く制止され、貝丞は何も言えなくなった。ラグーナは貝丞の前に屈み込むと、左手を彼の頬に伸ばしてくる。
「ああ、御主人様……こんなに腫れて……」
ボウッ……
「あっ……」
ラグーナの指先が淡い光を発した。例の治癒魔法だ。わずかに残っていた痛みが完全に引いていく。
治療が終わると、ラグーナは立ち上がり、眉を逆立ててメイリーンを睨んだ。
「メイリーン! どういうことなのか説明なさい!!」
凄まじい威圧感だった。伊達に若くして一地方の領主をやっていない。自分が怒られた訳でもないのに、貝丞は思わず「ひっ!」と声を漏らして後ずさった。
メイリーンの方はと言うと、貝丞程は気圧されていないようだった。だが、さすがにばつが悪そうにうつむいている。