元隷属の大魔導師 305
ただ、剣の柄から先へとは昇ってくる気配はなかった。
そんな、自身に無害な――けれど、圧倒的な熱を発する烈火の双剣を手元で軽く踊らせたエドゥアールが「ほう?」とヘルシオへ感心に大きくさせた双眸を向けた。
幾つもの眼窩に穿たれたヘルシオはヒュッと杖を振り、アルザックへ構え直した。
「さて……戦況の把握はお済みですか?」
嘲りの色を込めた問いかけにアルザックは耽美な顔を深く歪めた。
「貴様、付与魔導師だったのか?」
「ええ。別段、珍しいものでもありますまい」
「はっ。その速度で付与術式を完成させる魔導師がそこら中にいてたまるものか」
吐き捨てるように漏らしたアルザック。
付与魔導師――その名の通り、付与魔導を熟達した魔導師の呼称である。
とはいえ、付与魔導事態は難易度は違えどもどのような魔術教科にも載っているオーソドックスなもので、『付与魔導師』に一目おくほどの影響力はなかった。
だが、無詠唱で自分のすぐ脇にいるわけでもない他人の武具に、アルザックほどの魔導師が生み出した防御魔法を付与できるとなれば、その言葉にも重みがでてくる。
元来強気なわけでもないのに皇族に産まれたせいで気丈に振る舞わなければならず、内心、常に他人を慮ばかっていたヘルシオたからこその腕前であった。
「へぇ……さっすがヘルシオ君」
ふふっ、とフローラが笑みを零した。
魔導師ではない彼女でも魔法剣の存在は知っている。
というか、同僚であるアリアの得物こそが風の魔法剣の所有者であった。
だからだろう、ヘルシオの魔術とその利用方法を理解できたのだ。
「じゃ、反撃開始――だねっ!」
腰の高さに構えた長剣を目線まで上げたフローラは床を滑るように駆け出した。
同時にエドゥアールが、そんな二人の突撃を見た三人のうら若き近衛騎士たちも動きだす。
「小癪なっ」
アルザックが澄んだ水色の目を剥いた。
驚愕のためではない。戦況を読み、誰を初めに仕留めるか絞るためである。
それはたしかにヘルシオの付与魔法は脅威だろう。
近衛騎士が四人、さらに彼女たち並みですらない熟練の剣士がひとり――そんな敵戦力を考えればなおさらだ。
しかし、アルザックがそれで敗北が決定したかといえば、否である。
敵騎士、剣士との距離は優に十数歩はあった。さらにアルザックの水流を操る魔術はすでに完成しているのだ。
自身が剣の間合いに入る前に一掃すら可能だろう――そんな余裕がアルザックの反応から窺えた。
だが、それこそがヘルシオの狙いであった。
「消し飛ぶがいい、この不敬者どもっ!我が声に汝ら精霊の、」
「――と、まあ、来ますよね?」
「遥かなる豊笈のまま――にっ?ぬっ、あ、ぁ……っ……」
不敵な笑みを浮かべたヘルシオを看過し、詠唱を続けたアルザックだが、突如、その詩を中断した。
いいや、口を動かし、先へ進ませようとはしているのだ。
しかし、声が出ない。
まるで、舌を切られた罪人かのごとく呼気とともに断片的な母音を出すだけである。
「ぅ……あっ」
両目を見開き、顔には血の気がなく、鼻息荒いアルザックは傍から見ても混乱の極みに達していることは確かであった。
そして、この場にそんな隙を見逃すほど間の抜けた阿呆はいないし、回復を待つほど偽善的な騎士道を誇る者もいない。
「ゅっ――」
「ったあ!」