元隷属の大魔導師 277
「そんな……ってことは、ウェンディが寝返ったというのも本当なのかっ?あ、ありえないっ!」
「ありえます。実際、ここの衛兵の態度には不審を覚えていたはずですよ、あなたたちも。それに、そこの――」
ジルがマリエルとエドゥアールを順に見つめ、続けた。
「お二方が騒いだせいで駆けつけてきた十余名の兵たちはわたくしを目に、シュナイツの人間だと知った上で躊躇なく攻撃してきました。――相手になどはなりませんでしたがね」
フゥ、とジルが呆れたように嘆息した。
彼女の中では『人間』の基準値がデルマーノやエーデル、エドゥアールなどなのかもしれない。
いやいや。それは人間を過大評価しすぎている。
多分、自分を基準にしてもまだ強者側に寄っているはずだろう。
アリアは口にする必要性はなかったが、たしかにそう、心の中だけで思った。
「まぁ、とにもかくにもこの国は敵対国とみなしていいでしょう。そうなると心配なのは――」
「ひ、姫さまっ?隊長っ!」
室内のほとんどの騎士が異口同音に叫んだ。
あれほどまでに厳しい上官ながらも、尊敬に値すると思っているもはアリアだけではないようである。
……副隊長の名を口にした者がいないのは、まあ、本人には秘密にしておこう。
「――ですね。きっと、あちらのほうは四半日は持つでしょう」
窓の外――クレディア軍がいるのだろう、デルマーノとシャーロットの戦闘範囲を遠目にジルは続ける。
「幾つかの作戦を同時進行しなければなりません。まず、貴方がたの主人の身の安全を確保する。次に純粋に脱出・帰還する手段の確保。脚や岐路の検討ですね。他にもこの敵地と化したこの城内、街内で安全圏を確保する。これは、この方々たちの――」
ジルが侍女服姿のマリエルへ視線を送った。
こくん、と赤毛の少女は頷いた。
「奴隷街がいいわ。あそこなら城からも離れてるし、見通しも利くし、なにより手だれが揃っているからね。まあ、この国のノータリン騎士に匹敵するくらいのさ」
「ですね。つまり、そこまでの道順の確保、ということになります。そして、」
「ま、まだあるのかっ?」
アリアは驚嘆の声をあげてしまう。
なにせ、こちらには戦闘訓練を受けた者は百名弱しかいないのだ。
それで迫り来るクレディア軍とウェンディの二勢力を相手にしないといけないのだ。そうそう、人員をばらすわけにもいくまい。
そこで、本職の侍女であるジルが首を左右に振った。
「これで最後です。これは、多分、ヘルシオさんが適任かと思いますが、独力では困難でしょう」
「は、い?」
窓の外を物憂げにのぞいていたヘルシオが、はっと顔をこちらへと向けてきた。
――そうだ!彼は、クレディア軍の被害者だった!
国を占領され、父を殺され、義母異母妹や臣民たちに苦渋を舐めさせた憎き軍隊がすぐそこにいるのだ。
平常でいろというのは不可能な話しだろう。
そんな青年の反応に、あえて忖度しなかったのか、ジルが変わらず淡々と続けた。
「――貴方には、この国の高官や王族を出来るだけ捕らえてほしいのです」
「なぜ、わたしが?」
「貴方も元王族だからです。ならば、むこうの心理も読みやすいでしょう?」
それに、この中で一番高い戦闘能力を有しているんじゃないですか――と、どこか羨ましそうにジルが言った。
もしかしたら、同じ魔導師である自分にその役が巡ってこなかったのが不満なのかもしれない。
わずかな逡巡ののち、ヘルシオは頷く。
「了解です。デルマーノさんに頼まれて、断れるはずがありませんしね」
「……?わたし、デルマーノさまの名前を出しましたか?」
いや、それは聞くまでもないだろう。
ジルがデルマーノやシャーロットの命なしにこれほど能動的に動くことはないだろう。
そして、あの(悪口とかじゃなく)お子ちゃま吸血鬼がこんな策を思いつくことなんてありえない。無敵少女らしく、猪突猛進一直線でなんでも解決しようとするはずだ。
――実際、彼女単身ならば解決できるかもしれないが。
ともかく、以上から導き出されるのがデルマーノからの伝令だということだ。
「……そうですか」
一瞬、不満そうな表情を見せたジル。
しかし、その涼しげな美貌を堅く引き締め戻すとすぐに続けた。
「では、行きましょう。時間は有限なのですから」
窓から、いまも閃光を放つ遠方を眺めてジルが言った。
有限なのは、あっちなのか?
そんなアリアの勘ぐりも看過し、室内詰めた第一王女付き近衛騎士たちは一斉に頷いた。
「――ぅっ!消し飛べッ!」
「あは!これもおまけ――ってねッ!」
二万を越す大群の上空で黒竜が舞い、その背から数百の光の矢が降り注がれた。
そして、閃光矢に雷撃の属性も付加される。
着弾――。
直後には数十もの断末魔と破砕音が雪原に木霊した。