元隷属の大魔導師 224
アリアにはデルマーノの拳をノークが左手で受け止め、(そんなことができるかはまったくもって疑問だが)その拳の威力を掴んで、逆の手で送り返すようにデルマーノへ掌底を打ち込んだ風に見えた。
まぁ、実際のところどうだったのかは分からないが、確かなのはデルマーノが返り討ちに合い、壁に背を付けて白旗を上げているということである。
そんな弟子へとノークは呟くように言った。
「体力がモノをいう、武器での戦闘ならばまだしも――技術と経験を必要とする拳闘で儂に勝つになど、十年早い」
「…………ちっ」
「ふんっ」
不貞腐れたように視線を逸らす弟子へ満足気に鼻を鳴らすとノークは唖然と自分たちを眺める、デルマーノに戦闘不能にされた騎士たちへと視線を移した。
アリアはもう何度もこの大魔導師と会話をしたことがある。
デルマーノを叱る姿も目にしていた。
しかし、いまのノークの瞳はこれまで見たことのない恐ろしさを内用している。
直接、向けられたわけでもないアリアすら血液が氷水になってしまったかと錯覚するほどの威圧だ、騎士たちは微動だにできなかった。
ノークはゆっくりと、もう二度と同じことは言わないというように話し始めた。
「この馬鹿弟子は――感情的だが、滅多に人は殴らん。酔おうが、最悪の出来事があろうが、殴らん。だが、貴様らは殴られた。よほどのことをしたのだろう。同情の余地もない。しかし、コイツも貴様らもシュナイツに仕える立場だ――コトを荒立てたくはない。分かるな?もし、貴様らが尾を引くようならば……この『紫水晶』ノーク・ヘニングス自らが相手になってやる」
「ひっ――」
意識のある騎士たちから声にならない悲鳴が漏れる。
このときばかりは、気を失うほど強打された仲間が羨ましく思ったことだろう。
なにせ、大陸最高級の老人の燃えるような、憤怒の眼差しを受けずに済んだのだから――。
文字通り、脱兎の如く逃げ出した騎士たちの背中へ、今度こそ、その不運への同情の視線をアリアは送った。
しかし、まぁ――ノークの台詞ではないが、デルマーノを交戦するまで怒らせたのは自業自得である、とも思う。
まぁ、一段落したのだろう「ふぅ」と息を吐いたアリアは酒場の壁に背を付けた格好のままの恋人へと駆け寄った。
「……大丈夫?」
「ああ、大丈夫だ。んだが、ジジイめ――最近、ボケたのか、手加減の仕方を忘れたみてぇだよ」
――スコンッ!
「うがっ……」
デルマーノが減らず口を叩くと頭部を長杖の先で殴られた。
うねる古木を切り出して作られた、その実に魔導師らしい杖の持ち主が誰かは言うまでもない。
デルマーノは赤くした額をこすりながら、師匠へと恨みがましい視線を送った。
ノークは呆れたように肩をすくめる。
そこには先ほどまでの恐ろしさは微塵もなかった。
「……師を勝手にボケさせるな。まだ、儂はしっかりしとる。だが、まぁ――最近のおまえ相手では本気を出さざるえなかったことは事実じゃよ」
「はっ……お褒め頂き、どーも」