元隷属の大魔導師 208
しかし、それは突如として襲いかかってきた強風に阻まれた。
メルシーは自分と、そして主君であるミルダが邪竜の背から落ちないようしがみつくだけで精一杯である。
「ヒッヒッ……存外、可愛らしい悲鳴をあげんだなぁ?んま、アリアと比べりゃ、格段に劣るがな」
「デ、デルマーノ隊長っ!惚気はいいので、これはっ……一体?」
高笑いするデルマーノへエーデルはその細い眉を潜め、訊ねた。
メルシーが風に煽られているのは分かる。
だが、自分には微塵もそのような荒ぶる風圧が感じられないのだ。
「ヒヒッ……現状を把握しろ」
エーデルは絶句した。
この黒髪の若き魔導師に命令されたのは初めてではないだろうか?
しかし、エーデルは自身でも理由は分からなかったが、決して苛立ちを覚えることはなかった。
言われた通りに現状の把握に努める。
高速で空を駆ける邪竜。
その背中へと跨る自分たち。
デルマーノへと敵意を向けたメルシーと第二王女ミルダは突然、強風に襲われ――
「……もしかしてっ!」
閃いたエーデルは声を上げ、デルマーノを驚愕と僅かばかりの敬意を込めた双眸で見つめる。
「イヒッ……気付いたか。おそらく、正解さ」
高らかに笑うデルマーノへエーデルは続けて、訊ねた。
「デルマーノ隊長は、風を……防いでいるのですか?」
「ああ。『風壁』は初歩の魔法だ。俺にゃ、容易いモノさ」
つまり、その魔法の効果範囲を狭めてメルシーたちを強風の真っ只中へと追いやったのか。
なかなか、意地の悪いことをする。
「なぁ、メルシー隊長殿――竜の背中は狭い場所だ、仲良くしようぜ?ヒッヒッ……」
デルマーノはその口調とは裏腹に酷薄な顔付きでミルダを抱え、鞍にしがみつくメルシーへ疑問を投げかけた。
「ッ!……っ、……っ」
エーデルへの解説が聞こえていたのだろう、デルマーノを未だに睨みつけながらも頷いた。
メルシーもこの奴隷出身の魔導師がいまのいままで猫を被っており、真の性格は直視出来ぬほど、ねじ曲がっていることは学習している。
もし、デルマーノの機嫌を損なえば自分だけでなく、腕の中の主君にすらも危険が及ぶと考えたのだ。
「イッヒャッヒャッ……貴族の子女が奴隷出身者に屈したぞっ?最高の気分だな、気高い貴族様の高潔な自尊心とやらを折るってのはっ!」
そうバカ笑いするデルマーノをメルシーは歯噛みする思いで、にらんだ。
普通ならば、伯爵家の出身であり、自身も子爵の称号を持つ自分がこんな――それこそ畜生と大差のない生まれの男になじられ、笑われる謂われなどないのだからである。
この内なる屈辱は許されるならば即刻、斬り殺してやるほどだ。
それでも、身を襲う強風が止むと安堵してしまう。
そこまでのメルシーの心情をすべて把握しているのだろう、デルマーノは再び、笑った。
「イヒッ!言いてぇことがあるなら言えよ。我慢は身体に毒だぞ?」
「………………」
「――いつか殺してやる、か?」
「なっ?」