元隷属の大魔導師 196
バクバク、と餌をねだる魚のように口を開閉させ、黒髪の美女を指差したヘルシオへその美女――だと思っていた上司、デルマーノは意外そうに言った。
「……?なんだ、知らなかったのかよ?」
「いや〜、ね。言わないほうが面白いかなァ、って……」
フローラが頭をかいて、そう言うと、悪戯っぽく笑った。
その返答にデルマーノもニヤリと笑みを浮かべる。
邪悪なヤツだ。
「ってこたぁ……ヘルシオ。昨日から何度も会っていたが、おまえは俺をなんで見ていたんだ?」
「なんで……って、美人な人だなぁ、と。うぅ……」
ヘルシオは悔しそうに呻いた。
男の――しかも上司という身近な人間の女装にときめいていた、などという事実は彼の心を大いに負傷させた。
しかし、同時に合点する。
男であれだけ綺麗に化けられるのならば、近衛隊の女騎士たちから注目もされて当然だ。
恥辱に身悶え、恨みがましく上司をにらむとヘルシオは続ける。
「なんで、そんな……女装なんて……」
「……俺が樹海でアリアたちに合流するとアリアは有無も言わさず、俺を気絶させやがった。シュナイツ王国の大公のガキを助けるために尽力した俺を、だ」
「……ごめんなさい」
あの時、アリアは心配し過ぎていた反動もあり、嫉妬に駆られてデルマーノに鉄拳制裁をしてしまったが、いまでは少しやり過ぎたたかな、と反省していた。
済まなさそうなアリアを見つめ、溜飲を下げたデルマーノは続ける。
「んで、気付いたら宿にいて口の軽い吸血鬼共から包み隠さず事情を聞いたアリアに誓約書を書かされた」
「誓約書?」
「ああ。私、デルマーノはアリア・アルマニエを愛しています――という文章を、百枚」
「ひゃくっ?」
ヘルシオは驚いてアリアを見つめた。
照れたように頬をかく嫉妬深い赤毛の女騎士。
次にフローラへと視線を送ったヘルシオは絶対に浮気はしない、と心に誓った。
「そこで浮気問題の方はなんとかケリが付いた。解決法が他になかったわけだしな。だが、その後に女王リーゼに謁見したんだ。ほら……一応、王家の秘宝を借りたわけだしな」
「『白琥珀』の智験融合魔法宝玉ですね?」
「ああ。そこで……問題がな…………」
デルマーノはそこまで言うと言葉を濁した。
アリアが憤懣やるかたない、といった表情で後を続ける。
「リーゼ陛下がお気に入りになられたのよっ!デルマーノをねっ!」
「お気に入り?」
ヘルシオに聞き返されたアリアはフルフルと身体を小刻みに震わせる。
そんな彼女に代わり、デルマーノが困ったような表情で答えた。
普段の彼ならばただ困っているだけなんだ、とも思えたのだろうが現在の、あまりにも完成度の高い女装でその憂いを帯びた表情をされると不覚にもヘルシオはドキリと鼓動が速まってしまう。
「リーゼ女王陛下殿は俺を部下にしたいんだ、と言ってきたんだ。もちろん、断ったが……って、ヘルシオ。なんで、手すりに頭を打ちつけてんだ?」
「い、いえっ……煩悩をっ……払ってるだけでっ…………ふぅ」