元隷属の大魔導師 195
正直、ヘルシオはその幼女のような吸血鬼に軽い嫉妬を覚えていた。
その時、ふわっ、とヘルシオの鼻孔をラベンダーの香りがくすぐった。
思わず、香りの元を視線で辿ると三歩ほど横に女性が、甲板の縁に肘を付いて桟橋の行列を見つめている。
ヘルシオは彼女に見覚えがあった。
昨日からワータナー王城や宿で幾度か見かけたのである。
それはすれ違う程度の邂逅であったが、印象に残っていた。
背中の中ほどまで伸ばした少し癖のある黒髪にヘルシオと同じ位の長身、中性的な細面に切れ長の瞳、整った鼻梁を持つ美女だったからである。
今日はスリットの入った青紫の裾の長いワンピースを纏っていた。
しかし、ヘルシオが彼女のことで最も印象深かったのは彼女が宿で学院の男子生徒や男性教師だけでなく、女性の近衛騎士の注目を集めていたことである。
彼女たちのその眼差しは羨望や憧憬が多分に含まれているように感じられた。
確かに美しい女性だ。
フローラやアリアと並べても遜色ない。
その時、甲板に乗船許可を得た二人の吸血鬼を連れ、三人の女騎士――フローラ、アリア、エーデルが上がってきた。
フローラが自身の姿を見つけ、手を振ったのでヘルシオは振り返す。
すると、フローラの隣に立っていた真血種シャーロットが猛然と自分に向かって駆け出してきた。
ヘルシオは自分がなにかしてしまったか、と頬をヒクつかせる。
しかし、よく観察してみるとシャーロットの向かっている方向が自分に対して僅かにズレていた。
ダンッ、とシャーロットは甲板を蹴り、跳んだ。
「お兄ちゃんっ!」
「ぉふ……」
幼い見た目の真血種に勢いよく抱きつかれた黒髪の美女はヘルシオの予想より遥かに低い声で呼気を漏らした。
そして、その声にヘルシオは聞き覚えがあった。
いや、聞き馴染んでいるといってよい。
「もう……なんで、追いてっちゃうのっ?」
「うるせぇ、クソガキ。誰の所為でこんな格好、させられていると思ってんだっ。出立式なんぞ、恥ずかしくて出れっかよ!」
黒髪の美女は己へ抱き付く真血種の少女を振りほどくと乱暴に言った。
そんな二人の問答をヘルシオは口をあんぐりと開け、茫然と見つめる。
そこへシャーロットを追って他の者たちもやってきた。
「おい、アリア。首輪はないか?こう、ガキ一人繋げるくらい、丈夫なやつ」
「ないわ……懐かれてなによりじゃない」
「あらあら、嫉妬しちゃって……アリアったら♪」
「フローラッ!」
「あの……その首輪はシャーロット様だけなのでしょうか?」
「いや、冗談だから。その期待に満ちた目をやめろよ、ジル。事態が悪化すっからよ」
「ああ、そういえばデルマーノ隊長。ウルスラ殿――というか、彼女の師匠から預かり物があるのですが……」
エーデルが紐で十字にくくられた革張りの本を取り出した、その時、
「デ、デ、デデ……デルマーノさんっっ!?」
ヘルシオは溜まっていたものを全て吐き出すかのように絶叫した。
口々に喋っていた見た目は若い六人の女性の注目を浴びる。