大陸魔戦記 95
これには、アグネスも驚いた。
まさか、自分がまだ素面(しらふ)のうちに根を上げてしまうとは、少しも思っていなかったのだ。
――しかし、ならばむしろ好都合。こちらの頭がよく回れば、多少の不都合にも対処が可能。
そう考えたアグネスは念のため、ジルド同様数杯で酔いつぶれてしまったセリーヌを寝台に横たえ、自身は狸寝入りでしばらく誤魔化す事にした。
――そして、今に至る。
(…さて、早いうちに始めるとしよう)
口元を引き締め、暗がりの中にあるジルドを見据える。
ジルドは、用意された寝台には入らず、絨毯の上に腰を下ろし背中を壁に預ける格好で、静かな寝息を立てている。
ジルド曰く、「この姿勢の方が楽だし、いざという時に動きやすい」そうだ。「寝る」と言ってその姿勢になったのを見てアグネスが「横にはならないのか」と問うた際、本人がそう言っているのだから、間違いはない。
(……さすがに酔った状態では、殺意を持たぬ相手に気づく事もないだろう)
アグネスはごくりと唾をのむ。
できるだけ物音を立てず、気配を殺し、
静かに、
ゆっくりと、
確実に、
ジルドの前へと忍び寄る。
(……ジルド…)
膝をつき、ジルドの顔と同じ高さに、自身の顔を合わせる。手を絨毯の上に置き、少しずつ這わせる。
「起きていたか」
ジルドの目が、開いていた。
思わず、床を這わせていた手を引っ込め、後ずさりする。
「そっ、それはこちらの台詞だっ」
驚きのあまり、声が裏返ってしまう。アグネスは挙動不審になりつつも、何とか威厳を保とうとする。
一方のジルドは片膝を立て、壁に寄りかかったまま、溜め息を一つついた。
「幸いな事に、俺は君と同じように酒が強くてな…数杯じゃ寝たりはしない」
「なっ、何が言いたいっ」
間髪入れず、アグネスが噛みついた。
ジルドは表情を何一つ変える事なく、はっきりとした口調で言う。
「…人を酒で酔わせて、寝込みを襲うという手は、通用しない」
「なっ――!」
見抜かれた――アグネスは直感する。
「君が持ってきた酒瓶。それは度が高い物ばかりだった。それに、俺を気にしていたように思えたから、すぐにわかった。君は、俺の寝込みを襲うつもりだと」
蔑むわけでもなく。
なじるわけでもなく。
嘲るわけでもなく。
ジルドは抑揚のない調子で淡々と、言葉を連ねていく。
その言葉がまず紡いだのは、アグネスの中で渦巻きかけた「何故気づかれた?」という問いへの、答え。
「…俺が、君の主君に見合う相手なのか見極めたい気持ちはよくわかる。だから、その意図を非難したりはしない」
続いて、肯定。アグネスの意志を認める言葉。
――そして、最後は。
「だが、好きでもない者と肌を合わせ見極めようとするのは…俺は許さない」
――ようやくの、糾弾。
しかしそれは、文字通り身体を張ろうとした事に対する、ものだった。