大陸魔戦記 80
「…ジルド、獣の声など聞こえていたか?」
しかしセリーヌはその言葉を真に受け、ジルドに問いかけてくる。どうやらアグネスは、暗にジルドを責めているようだ。
「…立ち話は疲れる。中に入ろう」
その事に気付いたジルドは、刺すような視線で睨むアグネスから目を背け、逃げるように馬車の中に入っていく。アグネスもそれを追うように後に続き、戸を閉めた。
「…済まない」
セリーヌを降ろし、自身も腰を下ろしてから、ジルドは真っ先に頭を下げる。
「申し開きはしない。事実、俺はセリーヌとしている」
「…流石は物分かりが早い。さすれば、私が何について怒っているのかも…おわかり頂けますかな?」
冷や汗を流すジルドをアグネスは、いやに刺々しい口調でなじる。
「ふと目が覚めてみればジルド殿もひめ…いやセリーヌもいない。何事かと探しに行こうと腰を上げたら、外から何やら面妖な声。そして外に出てみれば…」
そこまで言った所で一旦口を切り、指すような視線をたっぷりと見舞ってやる。
「星空の下、仲睦まじくナニをなさっているとは…感心しませんねぇ、ジ・ル・ド・ど・のっ?」
語気こそ荒くはないものの、発せられる一言一言にジルドへの怒りが込められている。その量も、いつそれが殺気に転じるかもわからないほど。
戦場においては百戦錬磨・一騎当千のジルドはこの場において、完全に『蛇に睨まれた蛙』と化していた。
「待て、アグネス」
そこへ、思わぬ助けが入る。それは、ジルドによって長椅子に横たえられたセリーヌであった。彼女は両の腕をついて起き上がり、威厳に満ちた口調でアグネスを諭し始める。
「ジルドを責めるでない。今回も我から誘ったようなものだ。責められるべきは、我であろう」
「しかし、止める事もできたはずです。それなのにジルド殿は…」
しかし、アグネスは食い下がる。その様子から、どうしてもジルドを許せないようだ。
それを見て取ったセリーヌは憮然とし、不機嫌そうな目をアグネスに向けた。
「…見苦しいぞ、アグネス。羨ましいならば言えば良いであろうに」
「なっ!?」
突拍子もない一言に、アグネスは誰の目から見ても明らかな程に狼狽する。
そんな彼女の変容に、セリーヌはやれやれとばかりにため息をつく。
「一度男と別れた身故、色恋に刺々しくなってしまうのはわかるが…少々度が過ぎておるのではないか?」
「そっ、そんな事で刺々しくなる程卑しくはないつもりですっ」
アグネスは顔を真っ赤にしてそれを否定する。しかしセリーヌは聞く耳を持たない。
「否定などせずともわかっておる。認めたらどうだ?」
その言葉に、アグネスはますます顔を赤く染める。セリーヌは更に煽るように、勝ち誇った笑みを浮かべる。