大陸魔戦記 35
「しまった…」
悲鳴とは、目の前の恐怖に戦意を失った者が放つもの。死が目前に迫っているか、圧倒的な敵に相対しているか、いずれにせよ、長くは続かぬ。
悲鳴は、近侍たちのものではない。
複数の何者かが、声色を真似て演じているもの。
つまりは、ジルドらを誘き出すための、囮。
「姫が、危ない」
そう呟くと、踵を返してセリーヌらの下に急ぎながら、近侍らの部屋に、戦いの跡がなかった事を考える。
おそらく近侍らは、とうの昔に消されていたのだ。
それも、抵抗する間も、声出す暇すら与えられずに。
それ程の力量と、それだけの策略を巡らす、敵。
あるいは、手遅れかもしれぬ。
胸を這い上がるそんな不安を押し込むように、廊下を駆け抜ける。
角を曲がり、ようやく、扉が見えた。
息を荒げながら、半ば体当たりするかの如く、セリーヌの部屋を開けるジルドではあったが。
焦る彼を無情にも出迎えたのは、倒れ、呻くアグネスのみであった。
「おお、我ら帝国の美しき花、セリーヌ殿下は、なんと美しくあらせられるか」
「ほんと、かのような美しきものがこの世にあるとは。女のわたくしも羨望してしまうほどですわ」
湿った水の音が、薄暗き地下室にこだまする中。
縛られしセリーヌを、毒々しいまでの仰々しさで迎えたるは、獣の如き目を持つ中肉中背の男と、ややほっそりとした体を持つ女。
「そなたらは、何者か。我をリューン帝國第一皇女と知っての狼藉かっ!」
それらのあからさまに嘲る様を受け流し、皇女は手負いの獅子が如き凄まじき表情で睨む。
「質問は一つにしていただき物ですな」
しかし、男はまるで取り合わない。普段の口調を隠し、あくまで紳士らしく振舞おうとする算段のようだ。もっとも、新しい玩具を得たとばかりに浮かれる野卑な笑みは、隠しようもない。
「臣は、サンチェス家を預かる、ディリズと申します。ここにいる我が妹はアメリア。どうぞお見知りおきを」
「…サンチェス、とな」
その家名に、皇女の顔が変わる。
「ご存知であらせられますか」
「知らぬわけがなかろう」
その瞳に軽蔑の色をこめて、セリーヌは吼える。