大陸魔戦記 126
「……来るなら来い。ただし、覚悟がある奴だけしか取り合わん」
そして、誰もいない部屋の中ではっきりと吐き捨てた。
(…ん?)
スポンジを泡立てていたセリーヌがふと、怪訝な表情で扉を見やる。
「…どうかしましたか?」
その仕草に、湯船に浸かったアグネスが声をかける。対してセリーヌは、スポンジを泡立てていた手を再び動かし始めながら首を傾げた。
「気のせいであろうか…先程、変な物音が聞こえた気がしたのだが…」
「そうですか?私は、何も…」
セリーヌに聞こえたものは、アグネスには聞こえなかったらしい。彼女は首を振りながら言う。
「そうか…なら、気のせいだな」
その動作を見てセリーヌは、視線をスポンジに戻した。しかしその顔には、やや不審そうな色が浮かんでいる。
それに気付いたアグネスは、苦笑気味に湯船から立ち上がった。
「…気になるのでしたら、様子を見てきましょうか」
「いや、いい」
片足を出した所で、セリーヌに止められる。
「部屋にはジルドがいる。大方、何か蹴ってしまったのだろう」
「……」
――気にはなるが、確認はしなくていい。
暗にそう言われた気がして、アグネスはやれやれと首を振る。
「…言いたい事があるなら言うてみよ」
「…いいえ、何も」
やっぱり、ここは子供のようだ――そんな気持ちなど微塵にも出さず、アグネスは湯船に体を戻す。
「…不思議なものです」
湯気の中、ぽつりと言葉が呟かれる。その言葉に、セリーヌは動かしていた手をまた止めてしまった。
目だけをアグネスに向けると、今度はスポンジで体を擦り始める。それとともに、口も開いた。
「何が不思議なのだ」
そう言ったセリーヌではあるが、その目は疑問を示してはいない。それに気付いたアグネスは含みのある笑みを浮かべながら、湯船のふちに腕を乗せた。
「…逃亡の日々を送っているはずなのに、今がとても幸せである…という事がです」
「…確かに不思議だ」
答えに対し、セリーヌは大した反応を示さず、適当な相槌を打っただけ。そこから察するに、彼女も心のどこかでそう思っていたようだ。
その事に、何故か安堵したアグネス。すると途端に饒舌になる。
「…それも、『一人の女』として、幸せを享受している。正直、夢ではないかと思う時すらあります」
「夢、か…」
「…国を失った一国の姫と将が、数日前に会ったばかりの流浪の剣士に心底惚れてしまっているのですよ?こんな奇妙な話、おとぎ話の中ですら聞いた事がありません」
「『事実は小説より奇なり』という言葉があるであろう?有り得てもおかしくはないぞ」
どうやらアグネスの饒舌につられたらしい。次第にセリーヌも、口が開くようになる。