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駆ける馬
官能リレー小説 - スポーツ

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駆ける馬 371

ダンシングブレーヴを迎える為に帰国したエリックと幸子に代わり、ヘンリーがアメリカに来ていた。

細々とした手続きと吉野照樹との話し合いはヘンリー主導で行われ、サンデーサイレンスは社来で種牡馬生活を送り、シンジケートの配分は涼風ファームを中心に行われる事になった。
これはサンデーサイレンスが種牡馬として成功すれば多大な利益を涼風ファームにもたらす上に、そうなって種付け価格が高騰しても涼風ファームの種付けには影響受けないと言う良い事尽くめの話だった。
こんな破格の話ができるのもシャダイソフィアから続いた社来との縁であった。

それ以外にもサンデーサイレンスとは正反対に元気そのものなノースウィンドの予定についての説明もあった。
8月初頭のサラトガ競馬場で行われるテストステークスと、8月末の同じくサラトガで行われるフォアゴーステークスのG12つに登録。
真夏の短距離G1を連戦して、秋にステップレースをこなした後にブリーダーズカップスプリントに出走するプランだ。

あくまで夏の2レースの結果次第だが、大舞台への足がかりができたのは非常に明るい話題だった。


その頃の日本国内の競馬の話…
スーパークリークが回避した宝塚記念はオグリキャップが断然の支持を集めたが2着。
勝ったのはオサイチジョージ。
オグリキャップには悠の代打として、こちらも関西若手有望株である沖潤次郎が手綱をとっていた。

この敗戦は物議を醸す事になったが、レース後に両前足に骨膜炎を発症。
更に後ろ脚に飛節軟腫を発症した事で、若手の騎乗ミスと言うより、故障故の敗戦と言う意見の方が大半を占めるようになった。
このまま引退と言う意見もあったが、今後の種牡馬生活を考えた時に中距離G1のタイトルが欲しいと言う祐志の考えから、一旦放牧治療の上で秋の天皇賞に向かう事になったのだ。


そして、夏競馬の始まり。
春頃に渡良瀬牧場からの紹介で涼風ファームに視察に来ていた松中善勝調教師から是非にと懇願され、付き合いが全く無かったがナイスネイチャを預託する事が決まり、栗東に入厩されていった。
松中厩舎はナイスネイチャの姉も管理した事があり、その経験から年末までじっくり調整してからのデビューと言う事になった。

そしてやんちゃ坊主のレーシングジイーンの88も、競走馬名がツインターボと天性のバネから連想して名付けられていた。
ただこちらは反抗的な性格とゲート難の為に預託する厩舎が中々決まらず、夏の時期を迎えていた。

そんな時にレーシングジイーンの生産牧場である福山牧場の縁から美浦の笹村厩舎を紹介して貰い、どうにか競走馬としてチャンスを得れるようになった。
こちらもナイスネイチャと同じくじっくりやるとの事で、デビューは年末以降になりそうの事だった。

更にもう一頭。
濱松厩舎に牝馬が預託された。
サムシングブルーと名付けられたこの牝馬はロイヤルタタン産駒。
先細りしてきたフェアウェイ系の日本でも忘れられた感がある種牡馬だ。

だがその血統は綺羅星の如く輝いている。
母は名牝サムシングロイヤル。
産駒18頭中11頭が勝ち上がりと言う好成績。
その中には大種牡馬サーゲイロード、アメリカ最強三冠馬セクレタリアト。
更にファーストファミリーやシリアンシーなどのステークスホルダーも産出している。
そんな中でロイヤルタタンは第十子に当たり、短距離を中心に平凡な成績に終わっている。
ステイヤー血統の異端児ながら良血と言う事で種牡馬となり、日本に輸入されるが活躍馬の殆どは地方と言うマイナー種牡馬であった。
故に本命と言うより、アキネバーが不受胎で代用として種付けされた経緯で産まれていた。

母系の優秀さがあるので牝馬に出たことはいいことじゃないかとエリックやヘンリーは言う。
地味だがタフそうな仔と言う評価もあり、たとえ競走馬としてパッとしなくても繁殖牝馬として期待できると言うのが兄弟たちの見方だった。

預かる寛子の方は超良血よりもこういう仔の方が育て甲斐がありますね、と快く引き受けてくれた。
この馬も同じようにじっくりと調整していく予定だ。

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