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駆ける馬
官能リレー小説 - スポーツ

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駆ける馬 168

それだけではない。
まだハナキオーも粘りを見せ、二の足を使って差を詰めようとし、アイランドハンターもそう簡単には諦めない。

だが、ガーベラの脚は少しずつカウンテスアップを追い詰め・・・
残り50mで並んで競る。

必死で追い合う的屋と澪。
ゴールを通過した時には、ガーベラが少し前にいたのだ。

南部杯で連勝が止まってから、再びの連勝街道。
これでフルダブルガーベラが日本最強のダートホースと言う称号を得たとも言えた。

澪としては、年末最後の大レースを制して良い年を締め括れた。
デビュー3年目にしてリーディングジョッキーは過去最短であり、もう澪を女だとかアイドルだとかと言う括りには出来ない存在になってきた。
地方の騎手達も、最初はやっかみやら所詮客寄せだとかと澪を否定的な面で見ていたが、ここまで来ると中央のトップジョッキーとして見るようになって来ている。
負けた的屋も佐々井も、『馬も人も強かった』とむしろ讃えるコメントが出たのがそれを表していた。

ガーベラに関しては中央競馬会の最優秀ダートホースを受賞するとともに地方競馬の特別表彰も受けることになる。
中央と地方を股にかけて活躍した1年を象徴する結果を表している。
これに来年は海外遠征も待望されている。樹里にとっても嬉しい悲鳴だ。

そのガーベラだが、仁藤は樹里にある提案を行った。
1987年の3月からは濱松厩舎ーーつまり寛子の開業のタイミングで転厩するというプランだった。

そのプランの一環として、ガーベラをサウジカップからドバイワールドカップに挑戦すると言う構想を樹里に話したのだ。

これには奥原厩舎のラモーヌも同じ遠征プランがあり、こちらはネオムターフカップからドバイターフを予定している。
つまり芝と砂の女帝同士による海外遠征だ。
勿論それは樹里として拒否する理由も無く、来年の楽しみの一つとして了承したのだ。


年末年始は涼風ファームで過ごした樹里。
年が明けて、今後の予定を決める事になった。

本年の樹里が所有している幼駒は5頭。
叔父が代表の白幡ホースクラブに馬を譲って欲しいと話があったので、その内の2頭を譲る事になった。
したがって樹里の所有するのは、ナイスデイの牡馬、リアルシャダイ産駒のセントオーキッドの牝馬、トウショウボーイ産駒のアキネバーの牝馬となった。
キタヨシコとシーテイストの牡馬2頭はクラブに譲られる。

特にナイスデイの牡馬は仁藤から薦められた馬で、エリック達からの評価も高い。
仁藤厩舎に入厩が決まっていて、その名をスーパークリークとする事も決定していた。

門別の小さな牧場で生まれたスーパークリーク。
セリ市でも買い手がつかなかったが仁藤もエリックもそれを疑うほど優れた馬だと言い、樹里の期待もそれによって上乗せされている。

父ノーアテンション、母父インターメゾという徹底した長距離血統。
これはクリークを生産した牧場長の方針で、その牧場長と親しい日本競馬界屈指のオーナーブリーダーである岡山という男が考案した配合である。

最強のステイヤーと言う時代に逆行するような配合・・・
だが、エリック達の評価は全く違うものだった。

「この馬はマイルさえもこなせるスピードがあるね」

そう言うのは育成担当だったラルフである。
曲がった脚の為に強い調教は一切できない状況ながら、その非凡なスピードに彼も手応えを感じていたのだ。

「物覚えがいいし、気持ちも強い・・・大成する馬のタイプだよね」

ジョンも牧場に来てからの利口さと負けん気の強さを見て、競走馬として成功するだろうと確信していた。

「配合として最良だけでなく、ニジンスキーに似た風格があるんだよなぁ」

ヘンリーも弟達同様、この馬が並大抵ではないと見た時から思っていた。

「脚の曲がりが唯一の欠点だが、大事に使えばきっと大レースに勝てる器さ」

獣医として心肺能力と回復力の強さは太鼓判を押せる。
これだけ芯の強い馬なら、脚の曲がり等克服するとエリックは思っていた。

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