アイドルジョッキーの歩む道は 38
そして谷口も碧も残すレースはなでしこウインターカップのみ。
ここで碧が谷口より順位が上なら騎手三冠は確定。
ただ谷口がもし勝利すれば同率首位になってしまうだけでなく、最多賞金のタイトルも無くなってしまう。
とりあえず碧にとっていい材料は、プチラズベリーが今年一番のデキだと言う事・・・
8番人気とかなり落としているが、いい勝負ぐらいはできそうなのだ。
「いいレースを期待してるわ、碧」
「期待して貰っていいですよ、先生」
師弟で交わし合う言葉にもある種の余裕があった。
全盛期の力はもう無いが、やるだけの事はやった。
後は花道を綺麗に飾ってやればいいだけだ。
相手はまあ・・・
考えても仕方ないかもしれない。
自分のレースをするだけと気合いを入れた碧はパドックへと向かう。
向かう時にチラリと谷口が見えたが、やはりベテランだけに憎らしい程いつも通りだった。
谷口の騎乗馬は5歳のヨシノシラユキ。
伸び盛りの時期を迎えており、JBCレディスクラシックでも5着と健闘している。
単勝では5番人気。地方勢ではラストシンフォニーに次ぐ人気だ。
1番人気は中央のトワイライトスノー。
チャンピオンズカップでは7着だが、15番人気だったから健闘といえるだろう。
鞍上が短期免許で来日中のアンドリュー・ミュラーというのも勝負がかっている現れだ。
ちなみにこの馬、あのミッドナイトシルフの妹だったりする。
そして2番人気は4歳馬パープルリーフ。
3歳時に桜花賞2着、オークス優勝と一流の成績だったが、それ以来惨敗続き。
4歳からはダートに活路を見いだし、エンプレス杯2着を皮切りにダート路線で復活。
夏のエルムステークスを勝ち、レディースカップではトワイライトスノーと壮絶な一騎討ちで2着。
チャンピオンカップでは同じくトワイライトスノーと共に逃げバテしたが、実力は一番人気と見劣りしない。また鞍上の澤木学も今年絶好調で、いずれは諸澄のライバルになっていくと言われ初めてるぐらいだ。
「中央の温室育ちの馬に負けてらんねーよ」
ラストシンフォニー鞍上の松戸なんかはそう笑ってみせていたが、正直強敵だろう。
しかし、このレースが交流G1となったお陰でここまでいいレベルの馬が参戦してきた事は競馬場にとって良い事だと言うのは分かっている。
「まあ、お客さん扱いはいらねーが、丁重にお迎えしてやりなよ」
谷口が松戸に飄々とした笑顔で言う。
荒々しくなりがちな地方競馬だが、豆州湊は比較的アットホームなのがウリだ。
とは言え、アットホームとは言えど地方競馬らしい荒々しさもある。
なので谷口が釘を刺したのは、まだ紳士的な松戸ではなく豆州湊の喧嘩番長こと前岡に対してだろう。
彼は地方競馬全体で見ても屈指の才能を持つが、かなり荒っぽい騎乗をする。
中央育ちの騎手が見るときっと驚くぐらい荒いが、ましにはなってきたとは言え、こんなお行儀の悪い騎手は結構多かったりする。
そう言う荒っぽい所が地方競馬の魅力でもあるが、柔らかい騎乗でこの競馬場の王者に長年君臨してきた谷口からすれば相容れないものがあった。
故に彼が期待してるのは、この松戸であったり碧であったりする訳である。
「おいらは、先に慎吾に負けると思ったんだけどな」
「いやいや、我等がお嬢様は凄腕ですぜ」
松戸は現在リーディング3位だが、2位と10勝差がある。
去年は谷口と前岡でリーディング争いだったが、今年は碧に随分やられていた。
だが、それが嬉しいと思える辺り、彼も碧を認めている1人だ。
碧は茜と一緒にプチラズベリーと記念撮影。
「厩舎のオカンも今日がラストランだねぇ」
「感慨深いなぁ」
「ホント手のかからないいい子だった」
「うんうん」
「おいおい、レース前にしんみりしてんなぁ」
「忍さん…」
忍は7番人気のウォーターエンゼルで参戦してきた。