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戦国相姦 ‐淀君と秀頼‐
官能リレー小説 - 時代物

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戦国相姦 ‐淀君と秀頼‐ 2

「ならば母の言うことを素直に聞いて早う母を安心させてたもれ。」
淀君が部屋を去ると秀頼は立ち上がった。
大男である。
武に暗く、大坂城の奥深くで女たちに育てられた為、世間では軟弱な印象を持たれているが、成人後、身長六尺五寸(197cm)、体重四十三貫(161kg)に達していたと伝わる、堂々たる体躯である。
後年、二条城での徳川家康との会見で家康に秀頼殺害を決意させたのは、理由の大半が秀頼のこの立派な体格であるという。

いくら息子とはいえそのような男に唯一無二の存在と言われれば、欲情しない女がいないはずは無い。
「もうよい。下がっておれ!」
「ははあっ!」
立ち上がった秀頼の股間が大きく盛り上がっている。
秀頼は頭を下げている最中、絶えず目の前に座る母の裸体を想像していた。
不犯を誓いながら秀頼は母・淀君と交わることばかり考えているのだった。
一方、部屋を出て廊下をしずしずと歩く淀君は秀頼の言葉で乳房は張り詰め、女陰を湿らせていた。
秀頼の前から立ち去ったのは肉欲の予感に耐えられそうになかったからだった。
秀頼・十四歳、淀君・三十八歳。
二人は男であり、女であった…。

秀頼が協息に肘を置いて溜息を付くと天井から声が。
「秀頼さま。」
「あっ、弥太か?」
音も無く一人の小男が、すっと畳の上に座る。
現在、豊臣家でただ一人の忍者、弥太だった。
大坂城先代の主、豊臣秀吉は木下藤吉郎の頃から乱波の名人であった。
秀吉の出世の大半を占める様々な調略活動は忍びの者によるところが大きく、その重宝ぶりは秀吉が天下人となってからも変わらなかった。
むしろ、天下人となってからは各地の大名たちの動向を調べる為、益々、忍びを活用したはずである。
しかし、淀君が自らの私生活を覗かれることに我慢出来ず、秀吉死後は忍びを悉く追放したのだった。
徳川対豊臣の情報戦で豊臣が連戦連敗、後手に回り続けたのは徳川には伊賀、甲賀、柳生の忍者集団があり、豊臣には忍びが一人もいなかった為である。
そんな中、弥太は豊臣家に残った変わり者の忍びであり、正確には豊臣ではなく秀頼の忍びであり、秀吉時代の主な仕事は女好きの秀吉の好みに合った女を探すという、しょうもない内容だった。

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