ほんの少しの勇気で人生って変わると思う 642
「そうですかねぇ…」
香澄がつられて笑うが、その顔が妙に引きつっていたのがわかった。
…さっきの親父の言葉が根底にあるんだな。
「匠も、気をつけるのよ?」
「ああ…うん…」
やっぱり視線は合わせにくかった。
親父の顔を見ると、何時ものように優しい笑顔で僕たちを見ていた。
親父はお袋に手綱を締められてきたのかな?…
親父の浮気なんて聞いたことないから、もしかしたら結婚してからはお袋一筋なのかもしれないよな…
そういうところ…なんだか男として尊敬しちゃうんだな…
いろいろあったけれど、それからは落ち着いて、親父はお袋との間に娘3人をもうけたんだな。
2人の間には紛れもない愛があったわけで、それが僕の妹たちに…
男として、親父のようにありたい。
僕の思いはさらに強くなった。
「さあて、晩御飯の準備しようかしらねぇ、香澄ちゃん手伝える?」
「お母さん、香澄ちゃんはあまり無理しないほうが…」
「いういえ大丈夫ですよ。無理の無い範囲なら出来るだけ動いた方がお腹の子供の為にはいいって、お医者様にも言われてますから…」
「そうよぉ…匠がお腹にいる時にはいっぱい歩き回っていたから、驚くほどに元気なアンタが誕生したのよ…!」
……お袋…
あの親父の言葉を聞いた後だと余計につらい…
それでも前を向くんだと自分に言い聞かせてお袋のほうを見る。
いい笑顔だ。眩し過ぎる。
お袋を手伝おうとキッチンへ向かう香澄の表情も引き攣っている。
…ごめん、お袋、僕はあなたの息子じゃないんだ
こう素直に言えたら楽になれるのに、それができなかった。
親父は僕を見つめ、「すまんな」と唇が動いたように見えた。