ありのままに生きたくて 3
「よろしかったら私の家を使って構いませんよ」
「えっ!?」
お姉さん、天使ですか、女神ですか。
こんな放浪者を簡単に受け入れてくれるなんて懐広すぎやしませんか!?
「早くに結婚して2人の息子を拵えたまではよかったんですが、その矢先に旦那が癌で倒れて…今は女一人でやっているので」
「そ、そんな…」
「祖父の代からやってる小さな喫茶店も、もう限界かなって思って…」
「喫茶店をやっているんですか?」
「ええ、それもコロナ騒ぎで客足は途絶えちゃって、緩和された今でも客足は戻ってこなくてね…」
遠くを見るように染み染みと言うお姉さん…
この何年かで人生を狂はされた人は少なくはないのだろう。
「私も手伝います!。手伝はせてください!」
女優以外なにもしてこなかった自分ではあるけど、このお姉さんの力になれるのであれば、何だってする覚悟だ。
「えっ!?あのっ、あなたはお客様であって、そんなことを私も求めてたわけじゃ…」
戸惑うお姉さん。
慌てふためく表情は初めて見る。そんな姿も可愛いんだけど。
「そこまで優しくしてくださって、何もしないわけにはいかないんです!お願いですっ!」
そう言って頭を下げると、お姉さんもさすがに根負けしたようで。
「そ、そう言われたら、ねぇ…うん、じゃあ、よろしくね?」
「ありがとうございますっ!」
恩返しと言ったら大げさだけど、ちょっとだけ興味もあった。
よその事務所の同年代の女優さんやアイドルの子が、「社会勉強」とか「役作り」という名目でアルバイトしてるのが羨ましいなと思ったことがあったのだ。
私がやってた戦隊ヒロインの子も世を忍ぶ仮の姿はカフェのウエートレスって設定だったしね。
ただ、その時は母に猛反対されたんだよなぁ。
そのころから、女優・深浦藍は母の操り人形だったってことなんだよなぁ…
何か変わったことがやりたい、こういうことがやりたい、って言うとすぐに
「アンタは私の持ってきた仕事をやればいいの!」
だったもんなぁ。
――さて。過去を思い出すことはもうしたくない。
「あの、お店というかお家というのか、教えてください。車ありますんで」
「ええ。すぐ近くですけどね」
お姉さんを助手席に乗せ、車のエンジンを動かす。
「ご存じかと思いますが、深浦藍と言います」
「よろしくお願いします。瀬田綾香です」
「綾香さんって、おいくつですか?」
「28です」
「ええ…お子さんって、結構大きい子が多かったような…」
「上の子が小3、下の子は小1ですよ」
へぇ…すごい、それで喫茶店もやりながらか…しっかりした方だな…
「藍さんは本名だったんですね」
「そうなんですよ」
物心付いた時にはもう本名である"深浦藍"でやっていたから、芸名などは考えたことはない…
そういえば母さんは私に芸名を付ける気はなかったんだろうか?
「藍さんっていいお名前ね…日本古来の感じもするし、それでいてグローバルな音の響きもあるもの…」
「そう言って貰えると嬉しいですぅ」
自分の名前を誉められたことなど初めてかもしれない。