牝奴隷たちと御主人ちゃん 40
「逃げようよ!」
「しかたない、オルガ、人魚の島まで全速力で突っ込むんだ!」
ポチが叫んだのと、魔法の帆布の光が消えるのが同時だった。
少年は皇女ティアナが歌えないとすぐに判断して指示を出す。
握ったオルガの手のひらが汗ばむ。
船長室が通常の室内に戻る。
オルガは頭上から迫っていたものから、まだ狙われている気配を感じている。
少年もまだ天井を見つめている。
「あれは何なの?」
「さあな、ひどく嫌な感じがする奴だ」
一瞬だが見た邪神の姿を思い出して、サラにギルは答えた。ギルも見たことがないものだった。
皇女ティアナはまだ青ざめて震えている。
(逃げきらなければ海の藻屑だな)
「やってやるわ!」
ティアナが動揺して床に死霊祭祀書を落とした。
オルガは死霊祭祀書に叫ぶ。
この状況で少年だけが微笑していた。
神聖ベルラント王国の国教であるエアル教では「徘徊する憐れなる醜き取り残されし邪神」とガーバリムは呼ばれている。
触腕の群れ。先端に鉤爪。伸縮する無定形の巨大な肉の塊に触腕がうじゃうじゃ生えている。肉塊の中央には目も鼻もないが口らしきものがあり、中には牙だけがバラバラに生えている。
邪神ガーバリムは不完全な神で、不足したものを求めてさまよっているという。
貪欲で人でも動物でも喰らい続ける。
それは人の貪欲さや欲深さを戒めるために想像された怪物だと思われている。
しかし、想像上の怪物を皇女ティアナは実際に目撃してしまった。
海の中に邪神ガーバリムはいた。
(女神エアルよ、ガーバリムより私たちをお救い下さい……)
皇女ティアナは目を閉じ、その場でしゃがんで祈りを捧げる。
少年は邪神ガーバリムを見て、その正体は降臨の儀式が終わって、聖なる祓いの巫女に始末されなかった魔物化した男のなれの果てだと考えていた。
蛸か烏賊ではなく、邪神ガーバリムが触腕と鉤爪で船体を叩き壊したか、あの醜悪な口でかじりついたにちがいない。
人魚たちが逃げた島に近づいたとき、真っ暗な深海では目印になる魔法の帆布の光が消えているのと、魚よりも高速で移動したせいか、邪神ガーバリムからうまく逃げきった。
ガーバリムが沈没船を散らかしながら、ゴーレム帆船に迫る。
海中の巨大な山の中腹。そこに正方形の穴があり、人魚たちはそこに入っていく。帆船でも余裕では入れるが、ガーバリムには入れない大きさの穴だ。
ガーバリムは山に密着して触腕を押し込んでゴーレム帆船を刺そうとしてくる。
回転しながらその突きを回避するゴーレム帆船。
船内では床や天井に叩きつけられ……たりはしなかった。
船内は揺れを感じた程度である。
ただし操縦しているのがオルガとそばで手を握って応援しているポチは、回転前進しながら、背後からの攻撃を回避している感覚を体験していた。
ポチは回転飛行をして積乱雲を突き抜けたりして雲上まで出たりするので、速度の感覚に慣れている。
オルガは舞踊で旋回したりジャンプして空中で回転しているのを想像して高速で通路を突き抜けた。